狐侍こんこんちき

月芝

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其の百三 かけおち

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 九坂組の演舞のあと、数えて十組目までの披露が終わったところで、舞台はいったん中休み、前半終了となる。
 この間に饗応側は後半に備えての準備と確認に余念なく。観客らはそろそろ心許なくなってきたお酒や食べ物なんぞを求め、あるいはちょいと厠へと、もしくは遠い顔見知りに日頃の無沙汰を詫びに行ったり、おもいおもいに過ごす。
 ちとせや生駒ら芸者衆は、化粧を直すと言って席を立ったもので、「じゃあ私もちょっと」と藤士郎も腰をあげた。
 すると銅鑼が「あっちにおやきの屋台があったから、ついでに頼む」
 遠慮を知らないでっぷり猫は、まだまだいくつもりのようだ。
 ちなみにおやきとは、小麦や蕎麦などの粉で作った厚めの皮で小豆、野菜などで作った餡を包み、焼いた食べ物のこと。信濃の国の名物にて、江戸に幕府が開府されるよりもずっと前からあったんだとか。

「まったく……お腹をこわしてもしらないよ」
「ふん、大丈夫だ。なにせおれの正体は大喰らいの窮奇だからな。この程度、造作もない。その気になれば牛の二三頭ぐらいぺろりだ」

 あー言えば、こう言う。
 肩をすくめた藤士郎は「わかったよ。けど、くれぐれも猫大師さまに失礼のないように気をつけておくれ」と釘を刺し、ひとり壇上の客席から降りた。

  ◇

 まずは厠にて用を足す。慣れぬ酒を呑んだものでいささか近くなっていたらしい。すっきりしたところで藤士郎は、そのまま猫又らで賑わう中をぶらぶら。長身痩躯を活かしてきょろきょろ。
 お目当ては和田屋のしらたま。
 彼女の父親である小田原宿の親分の五右衛門からの突然の嫁入り話の打診。
 藤士郎はもちろん断わるつもり。だが、たんに突っぱねただけでは、逆に大事になりかねない。なにせとてもえらい猫大師さまや、そこそこえらい儀三郎親分、華やかな猫又芸衆らの前で大見得を切った手前、「いらぬ」「はいそうですか」とはすんなりいかない。
 よほど巧くことを運ばなければ、きっと大火事になる。
 そう、ちとせより忠告を受けた。「まさか」と一笑に伏したいところではあったが、百戦錬磨の売れっ子猫又芸者の言葉には説得力があった。
 だからまずは当事者であるしらたまに、こちらにその気がないことを伝え、かつ彼女の真意をも問い質して、どうにか難事を乗り越える算段を相談しようと考えている藤士郎。

 しらたまは新雪のような白い毛並みをしている美猫。
 ゆえにすぐに見つかるだろうと安易に考えていたのだが……。

「う~ん、これはちょっと考えが甘かったみたいだね」

 困り顔の藤士郎は頬をぽりぽり。
 大勢の猫又らで混雑する敷地内。毛並みや柄もいろいろ。
 そのせいであろうか。じーっと眺めているだけで、なにやら目がちかちかしてくるような。ときおり鼻がむずむずするのは抜け毛のせいだろう。いまさらながらに蚤(のみ)や虱(しらみ)がちょっと心配になってきたけど、まぁ、猫又たちはわりと綺麗好きだし、そっちはたぶん大丈夫であろう。

 …………しらたまが見つからない。
 それとなく行き交う猫又らに訊ねてみるも、「さぁ、知らないよ」「とんと見かけないねえ」との返事ばかり。
 ひょっとしたら五右衛門とともに、各地の親分さんへの挨拶回りに忙しいのかも。
 ならば心助の方へと行きたいところではあるが、彼もまた親分さんの子息。しかもこちらは跡取りだ。やはり父親とともに関係各所を回っていると考えるのが妥当であろう。
 にしても気になるのは心助のあの表情だ。
 五右衛門が嫁入り話をしたときに浮かべた戸惑いと深い絶望、瞳の奥底に漂う怒りなどなど。
 漢気溢れる一本気な性格の若者ゆえに、ちょっと心配。

「なにやら思いつめて、短慮に走らなければいいんだけど」

 嘆息する藤士郎。結局、中休みの間にしらたま、心助に会えなかったもので、いったん諦めて銅鑼に頼まれたおやきをたんと仕入れて、自分の席へと戻ることにする。

  ◇

 持ち帰ったおやきをさっそく貪り喰らう銅鑼。盛り皿に積んだ山がみるみる減っていく。
 その姿に呆れながら、藤士郎もひとつ頂戴する。ぱくりとひと口、中身は野沢菜漬けにて、しゃきっとした歯ごたえとぴりりとくる辛味が程よく、こりゃあ旨い!
 狐侍とでっぷり猫がおやきにぱくついては目を細めていると、ちとせらも化粧直しをすませて戻ってきた。
 他の客らもぼちぼち自分の席へと。あとは後半の演舞が始まるのを待つばかり。
 という段になって、息せき切ってやってきたのは儀三郎と五右衛門。
 全国に名の知れた親分が揃い踏みにて、あわてふためている。そして口々に言うことにゃあ。

「うちの息子が書置きを残していなくなっちまった!」
「うちの娘が書置きを残して消えたっ!」

 心助としらたま、想い合う若い猫又たちは、どうやら手に手をとってかけおちをしちゃったらしい。


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