狐侍こんこんちき

月芝

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其の二十 大工小鬼

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 とんとん、かんかん。
 とんかんかん。
 とんかん、とんかん。
 とんかん、とんかん。

「おらおら、ぼさっとしてんじゃねえぞ。朝までにきっちり仕上げるんだからな」
「「「「「へい!」」」」」

 天井から大工仕事の音と威勢のいい声がする。
 こうも騒がしくては、おちおち寝てもいられない。

「やれやれ油代がかさむけど、しようがないよね」

 身を起こした藤士郎。諦めて行燈に火を灯し、せっかくだからと請け負っている写本仕事に精を出すことにする。
 そこへ顔を出したのは幽霊である母志乃。

「藤士郎さん、あの方たちにお出しするお茶請け、せんべえでよかったかしら? それとも甘い物の方が喜ばれるかしら?」

 たずねられた藤士郎はいったん筆を置いてから「さぁ、あいにくと小鬼どもが何を好むのかは、とんと覚えがありませんので」と首を傾げる。
 すると敷きっぱなしにされている蒲団の上で丸まっていた銅鑼が、「けっ、あいつらなんぞ、白湯だけで充分だ。放っておけ」と言った。

 そろそろ丑の刻になろうかという時刻。
 ただいま自宅兼道場の屋根の修繕中。

  ◇

 荼枳尼と名乗った妖・茶袋。
 人の奥底に秘められた欲望を解き放つ恐るべき妖。
 不覚にもその術にかかって九坂藤士郎が口にした願い。
 それは、なんと「屋根の修繕」であったのである。
 これには荼枳尼も「えっ?」と目が点となり、言った当人もあまりのしょぼさにびっくり。

 とはいえ空模様を気にする生活は、本当にしんどいのだからしようがない。
 雲の動きにびくびく怯える。明日の天気がやたらと気になる。雨が降ったら降ったで、家のあちこちに水受けの器を出し並べなくてはならぬ。ぴちょんぴちょんと雫がやかましい。こまめに溜まった水を捨てなくてはならないのもめんどうくさい。長雨なんて到来したらもう……。梅雨なんて想像したくもない!

 おもいのほか藤士郎のなかで、欝々したものが溜まっていたらしい。
 荼枳尼、かつては天下を望んだ男の願いすらをも叶えたことがあったというのに、この若者ときたら、なんというくだらなさ。
 あんまりといえばあんまりのこと。堪えきれずに、荼枳尼はつい「ぷぷぷ」と噴き出してしまった。
 釣られてでっぷり猫も「ぎゃははは、屋根、屋根だと? この期に及んで欲した願いがそれかよ。いくらなんでもそりゃねえわ」とひっくり返って腹をみせての大笑い。

「なっ、いいじゃないかべつに。だって本当に困っているんだもの」

 尼さんと猫にけらけら笑われ、顔を赤くして頬をふくらます藤士郎。
 ひとしきり笑った荼枳尼、目元の涙を袖でそっと拭いつつ。

「あー、おかしい。こんなに笑ったのははじめて。でもたしかに承りましたよ。その願い、叶えてあげましょう。それでは私はお暇させていただきます。いずれまたお会いしましょう、九坂藤士郎さま」

 とたんにぐりんとめくれ上がったのは紫色の法衣の裾。
 白いおみ足があらわとなったもので狼狽する藤士郎、あわてて目をそらそうとしたのだが、そらせなかった。
 なにせ女人の姿が、その皮ごと全身がべろりと裏返ったものだから。
 変じたのは大きな巾着袋。
 そいつが天から伸びた糸に引かれて、あっという間に雲の彼方へと消え、それきりとなった。
 ほんの寸の間の出来事。
 あまりの光景に、藤士郎はぽかん。しかしようやく合点がいった。

「なるほど。あれがまったく気配を悟らせなかったからくりかい。そりゃあ気づかないわけだよ。なにせいきなり天から降ってくるんだもの」

  ◇

 そんなことがあった二日後のこと。
 夜更けに、いきなり九坂家へとやってきたのは多数の小鬼たち。
 そろそろ寝ようと蒲団に潜り込んで目を閉じたところ、ぺちぺち頬を打たれたもので、はっと目を開けたら暗闇の中にぎらりと光る目がたくさん。藤士郎はたいそう魂消たものである。

 小鬼たちは、捻りはちまきに揃いの半纏(はんてん)を着た粋な格好。
 成りこそは小さいが、大工の腕はたしか。

「話は聞いている。おれたちにまかせておきな。雨漏りなんざぁ、ちゃちゃっと直してやるよ」

 頭領の小鬼が「いくぜ、野郎ども」とひと声かけるなり、さっそく柱伝いに屋根へと消えた小鬼ら。すぐさま、とんかんとんかん鳴り出した。
 この調子ならば本当に朝までに仕上げてくれそう。
 母志乃から小さな大工さんたちへのお茶請けの相談を受けた藤士郎。

「それなら母上の自慢のきゅうりの漬物も添えてあげたらいいですよ。あれはけっこういけますから」

 息子の言葉に喜んだ女幽霊、いそいそ台所へと向かった。
 そして残された藤士郎はふたたび筆をとる。

「さてと、私ももうひとふんばり」


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