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第二部

⑯ 届かない

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 シャランシャラン
 手首についた鈴の音が響く。
 
 シャランシャラン
 シエルが動く度に、音が鳴る。

 どの音も同じではない。
 シエルが剣を振り、体を反らして回転する度に、また違う音が鳴る。
 薄い紅色の舞踏着は、女性が身に着けるような、透ける素材の色っぽいものだった。
 男女の域を超えて、神々のような美しさを放つ、シエルにしか似合わないと思えた。
 シエルの長い髪は、幾重にも編み込まれていて、踊る度に毛先は羽のように広がった。
 至る所から、簡単のため息が聞こえてきて、レアンは胸に手を当てながら、広間の中央で踊るシエルを見つめていた。

 殺伐とした空気の中、王宮に飛び込んできた第二王子カイエンと、長い間姿を見せることがなかった王が、杖をつきながら現れたことで、それを見た人々が、王宮内で反乱が起きたのではないかと、大騒ぎになっていた。

 その混乱を鎮め、みんなの注目を集めるために、立ち上がったのがシエルだった。
 王宮の舞踏会で使用される大広間が開放されて、一夜限りのシエル舞人の単独公演が行われると話を広めた。

 シエルの名はゴールディ国にも広まっていたらしく、あっという間に混乱は収まったが、今度は別の意味で大混乱となった。
 シエル舞人を招いたとなれば、王やカイエンが姿を現しても不思議ではない。
 サークルは体調不良で欠席としたが、そんなことはもう、誰も気にしていなかった。

 シエルには毎日山のような招待状が各国から届いたが、本人は面倒だと言って、どこにも行かなかった。
 それで、初めての外国公演となれば、わざわざソードスリムまで観に行っていたファンも、一度観てみたいと思っていた人も、知らないけど有名人ならぜひ観たいという人も、ぐちゃぐちゃになって王宮に勤めているほほ全ての人が広間に集まった。

 壇上には、王とカイエンの席が設けられていて、その周りは騎士が固めていたが、彼らもうっとりとした目でシエルを見つめていた。
 レアンは壇上の近くに席を作ってもらい、そこから鑑賞させてもらうことになった。
 公演を始める前、シエルはレアンの元に走って行った。

 今日の公演は、カイエンのためでもあるけど、俺は歌も踊りも、全てレアンに捧げるつもりでやる。
 そう言って、シエルはレアンに口付けた。
 周囲からどっと悲鳴のような歓声が上がり、ニヤッと笑ったシエルはヒラヒラと舞う蝶のように中央に飛んでいき、踊り始めたのだった。

 その時のことを思い出して、まだ剣舞の途中だというのに、レアンは頬が熱くなってしまった。
 まだまだ、不安なことはたくさんあるけれど、これでやっとシエルとともに生きていける。
 そう考えるだけで、喜びが溢れてきて、一緒に踊り出してしまいそうだった。

 シエルの周りに色とりどりの花びらが撒かれたら、今度はシエルの歌が始まる合図だった。
 人混みをかき分けるように楽団が入ってきて、軽快に演奏が始まった。
 シエルが最初に選んだのは、愛の歌だった。
 悲しい運命に翻弄されて、離れ離れになってしまう恋人達、それでもお互いを思いやって、最後は結ばれるという歌詞を、シエルは情感たっぷりに歌い上げた。
 誰もが涙を流していた。
 まるでカイエンとユリーサの話みたいだと思って、カイエンの方を見ると、カイエンの目尻からも一筋の涙が溢れて線になっていた。
 歌い終わって拍手に包まれるシエルを見て、レアンも立ち上がって拍手を送った。
 シエルはレアンに向かって微笑んでくれた。
 それだけで、天に昇るような気持ちになった。

 次は一匹の子猫が、初めて外へ出て、世界を知った時の驚きと感動を歌った歌で、シエルは衣装の裾を手で持ちながら、足で軽くステップを踏み歌い出した。
 これもまた人気の曲で、観客の手拍子が始まり、全員で一体となって、ワクワクする気持ちでシエルの歌と踊りを楽しんだ。

 レアンも手を叩きながら、周りがシエルと声援を上げるのと一緒に、声を出してみた。
 エドワードに教えてもらった練習は続けていた。
 今なら、今までで一番大きな声が出せそうだと思って口を大きく開けた。

「……あ……あ、……し…………え……」

 自分で自分の声を聞いて驚いてしまった。
 下手くそ過ぎて、よく聞こえなかったが、それでも今までと違う音が出せたのが分かった。
 そう、ついにシエルの名前を言えた。
 レアンは喜びで手が震えて、シエルを見つめた。
 シエルは楽しげに歌って踊っているので、離れたところにいるレアンの声は届かない。
 シエルの公演が終わったら、一番先に聞かせたい。
 名前を呼んで、花を渡したい。
 そう思って、チラリとカイエンの方を見たら、王は座っていたが、その隣に座っているはずのカイエンの姿がなかった。

 ドクンと、心臓が押されたように揺れた。
 嫌な汗が背中をつたって落ちていく。
 胸騒ぎがする。
 このままでは終われない。
 そんな気がして、ちっともその影を消すことができない。

 シエルの歌はまだ続く。
 すぐに戻ろうと思いながら、レアンは席から立ち上がった。

 大丈夫、カイエンの無事を確認して、それで戻ればいいだけだ。
 おそらく医師のところだろうと、診療室の方へ向かった。
 シエルの公演が始まる前に、カイエンと訪れたが、その時はまだ面会できないと断られたのだ。
 シエルの公演を観るためか、いつもは立っている警備兵の姿がなかった。
 広間を出ると、人の気配がなく、静かな廊下を見て、レアンは不安を募らせた。

 レアンがちょうど診療室に通じる廊下を歩いていたら、診療室の扉が開いてカイエンが出てきたところだった。
 カイエンの安心したような顔を見て、ユリーサは命を取り留めたのだとレアンは思った。
 カイエンの口元が、よろしく頼むと動いたのが見えた後、カイエンはゆっくりと扉を閉じた。
 顔を上げたカイエンは、レアンが来た方向とは、別の方を向いていたので、近寄って肩を叩こうとレアンは小走りになった。

 その時、レアンは視界の端に見てしまった。
 カイエンに向かって走る、もう一人の人物を…………

 狂気に満ちた歪んだ横顔。
 そうだ、そうだったんだと、レアンはその時、全てを悟った。

 ユリーサがカイエンに飲ませたのは、人形薬だった。
 シエルと同じように使用して、カイエンをぐっすり眠らせておくのが目的だった。
 人形薬によって眠りに入った人間は、一見すると死人のように青白くなるそうだ。
 小説のユリーサは、カイエンが死んだと報告した。
 報告した相手、それはテランス公爵、ユリーサの父親だ。
 ユリーサにとって、自分がサークルを殺す間だけ、偽装できればよかった。
 しかし、報告を聞いて、一度はユリーサとともに、死んだカイエンを確認したテランス公爵は、ユリーサが出て行った後、再びカイエンの元へ戻る。
 憐れな王子の亡骸を、ゆっくり観察するためだったのかもしれない。
 そこでテランス公爵は、カイエンが死んでいないことに気がつく。
 ユリーサが飲ませた毒の量が少なかった。
 そう考えた公爵はユリーサが下手をした後始末だと、カイエンに邸に残っていた毒を飲ませた。
 カイエンはもがき苦しみながら、高い熱を出して、右目を失ってしまう。
 人形薬と毒の相性が悪かったのか、毒の効き目が抑えられて、カイエンは命を取り留める。


 カイエンの元に走っていくテランス公爵を見つけたレアンは、想像でしかないが、一瞬でそこまで考えた。
 そして彼が今、走っているのは、その時と同じような動機だと思った。
 つまり、王宮に向かうカイエンの姿を見て、娘がしくじったのだと分かった。
 テランス公爵はサークルの死をまだ知らない。
 娘ができなかったと分かれば、テランス家が追い詰められることになるかもしれない。
 だから彼は、ユリーサが下手をした後始末をつけようと、剣を構えてカイエンに向かって走っている。

 レアンもカイエンに向かって走る足を早めた。
 カイ、危ない、早く逃げて!
 そう言いたいのに、咄嗟に構えると声が出てこない。
 ひゅうひゅうと息だけを吸いながら、レアンは走った。

 カイエンはユリーサのことが心配でここに来たのだろう。
 緊張が解けて、気が緩んでいるところで、殺気に気づかずに歩き出そうとしていた。

 カイ! 逃げて! 逃げて!

 叫んでも叫んでも、声は出てこない。

 そのうちに公爵は剣を振り上げて、今にもカイエンを突き刺そうというところまで来ていた。
 カイエンは気が付かない。
 レアンの目には、全てがゆっくりとした動きで、進んでいるように見えた。

 カイエンの近くで地面を蹴ったレアンは、全体重をかけてカイエンを横から突き飛ばした。

 背中を強く叩かれたような衝撃を受けた。

 すぐに全身を引き裂かれるような強烈な痛みを感じて、レアンは苦悶の声を上げた。

「なっ……レア!? な……なぜ、な……どう……して」

「……なんで、お前が……」

「レア! レア!!」

 まるで水の中に入っているように、周囲の音がこもって聞こえた。
 視界に飛び込んできたカイエンは、ひどい顔をしていて、手が真っ赤に染まっていた。
 その赤いものが自分の血だということに、レアンは少し遅れてぼんやり気がついた。

 物音と叫び声で警備兵が集まってきて、テランス公爵はすぐに取り押さえられた。

「そいつは牢に入れろ! 医師は? 診療室には、看護人しかいなかった」

「今は陛下の容態を確認するために、会場におられるかと……」

「緊急だと言って、医師をこちらに呼び戻すんだ!」

「離せー!! 俺は悪くない! サークル様に会わせてくれ! 離せと言っているだろう!」

 カイエンは兵士達に命じたが、そこでテランス公爵が暴れ出したために、兵士達は全員で取り押さえることになってしまった。
 痺れを切らしたカイエンは、自分が呼びに行くと言って立ち上がった。

「レア、直ぐに戻る。動かないで、息をして……、レアお願いだ。死なないでくれ」

 そう言ってカイエンはレアンの手を握って話しかけた後、勢いよく立ち上がって走って行った。
 
 カイエンは泣いていた。
 涙声で懇願するように話しかけてきた。
 その時、レアンは自分の体を見た。
 背中から刺さった剣が、貫通して胸から飛び出しているのが見えて、これはもう助からないと分かってしまった。
 おそらくカイエンもそう思ったのだろう。
 だからあんなに、泣いていたんだと分かった。

 公爵と兵士達が、揉み合っている横で、レアンは何とか足に力を入れて立ち上がった。
 身体中が痛い。
 ゴホッと咳き込んだら、真っ赤な血が口から出てきた。

 このまま死ねない。
 ゆっくり足を踏み出すと、痛みを堪えれば、前に進むことができた。
 ゆっくり、ゆっくり
 一歩、一歩

 歩く度に視界はどんどん揺れていき、だんだん痛みの感覚がなくなってきた。
 いつだったか、これと似たような夢を見たような気がする。
 フラつく体を支えようと、壁に手をついたら、壁が血の色で染まった。

 ああ、そうだ。
 いつか夢で見た光景だと、そこで気がついた。

 それは警告だったのかもしれない。
 今となっては、その通りになってしまったので、気がついても、どうしようもない。

 薄れゆく意識
 ただ一目だけでいい、シエルに会いたかった。

 こもっていて、おかしかったレアンの耳に、軽快な音楽と、シエルの楽しそうな歌声が聞こえてきた。

 あと少し
 あと少しでシエルの元へ行ける

 ぼやけた視界に、広間の大きな扉が映った。

 もう少し、と願ったレアンの体は限界を迎えていた。
 辛うじて足を動かしていた力は消えて、そのまま廊下に倒れてしまった。
 口から血が溢れたが、もう何も痛みを感じない。

 レアンは手を伸ばした。

 あと少し
 あと少しでシエルに会えるのに、手が届かない。
 
「シ…………エ………、シエル」

 最期の言葉は、はっきりと自分の耳に聞こえた。
 やっと、シエルの名前を呼ぶことができた。

 シエルに聞いてもらいたかった
 シエルはどんなに、驚いただろう
 その顔が見たかった……

 レアンは静かに瞼を閉じた。
 

 音楽が止んで、たくさんの拍手の音が鳴り響いた。
 誰もがシエルの名前を呼んで、歓声を上げていたが、たった一人、この世で最も愛する人の声は、シエルには届かなかった。

 


 

 (続)
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