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19.一難去って

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その名を聞いた者は2つの反応に分かれた。

聞き慣れたしかし聞き慣れないその名前に首を傾げる者、そして、驚いて直ぐに踵を返す者。

気づいた者は逃げるように次々捌けていき、事情が分からない者も何故か捌けていく者達に嫌な予感を覚えて、足早に去っていく。

そして、マリィを襲おうとした男も青ざめ今に逃げ出しそうな顔をしていた。

「な、なんで、お前……いや、貴方様がここに……?
確か隣国に行っていたとか……」

青い顔をする男に彼は口角を上げた。

「それは友人に摘発に付き合って欲しいと頼まれたからだ。
何でも貴族の婦女子を狙った誘拐がこちらでは多発していて問題になっていると、しかも、容疑者は貴族ばかり。誘拐を斡旋する仲介業者もいて厄介だという話だった。
人手が足りないからと引き受けたが……
どうやら俺は要らなかったらしいな」 

「……え?」

そう彼が話した瞬間、男の肩を誰かが叩く。

肩を叩かれ、男がそちらを見上げると……そこには人の悪いにんまりとした笑みを浮かべた大勢の警備隊がいた。





賑やかで喧騒が絶えない色街だが、今や全く違う意味で大騒ぎになっていた。

夜中を狙った警備隊による大摘発はその場にいた人々を次々と捕らえ、売春や違法薬物、闇商売などあらゆる犯罪に手を出した人々を馬車に積めて拘留所に送った。

そんな喧騒から少し離れたところで、一人の警備隊員がマリィを連れたフィルバートに頭を下げていた。

「助かりました! 先輩!おかげでようやくこのベルナ町の膿を一掃出来ました! ありがとうございます!」

その感謝の言葉にフィルバートは首を横に振った。

「いや、俺は結局殆ど何もしなかった。礼は要らない」

「いえ! 先輩が粗方容疑者を含め仲介業者の居場所や犯罪組織の拠点を見つけてくれたおかげで、摘発がスムーズに出来ました!
警備隊員の我々ではどうにも警戒されて尻尾を掴めなかったんですが……流石、私達の先輩! 学院時代から変わらず、ヒーローですね!」

「はぁ……その先輩を探知犬代わりに使うのはお前くらいだよ……」

疲れたようにため息を吐くフィルバートを警備隊員の彼は輝く目で見ている。その背中に高速で振られる尻尾が見える気がした。フィルバートは随分と彼に慕われているらしい。
未だフィルバートの外套に隠れているマリィはそっと見上げる。

すると、丁度前髪の下の琥珀色の目と目が合った。

「そうだ……デニス。途中で彼女を保護したんだ。彼女を家に帰してやってくれ」

フィルバートはマリィから黒い外套を外す。

マリィの姿を見た瞬間、デニスは腰を抜かした。

「マ、マリィ・ズィーガー公爵夫人!?」

衝撃を受けているデニスにフィルバートは首を傾げた。

「何だ? 知り合いか?」

「先輩、貴方、やっぱり凄いですよ!
この方は社交界の花、ズィーガー公爵夫人! その美貌と佇まいからあらゆる貴族令息の視線を奪い果ては国王陛下にまで気に入られている超!有名人です! 白百合姫とか白薔薇姫とか裏では呼ばれていて、セレスチア一の美女だって大評判なんですから!
かといって、この方は決してご自分を安売りしない高潔な方! 誰に口説かれようが断り、あの国王陛下ですら袖にする方ですからね。この方の心を射止められる者は誰もいないとも言われています。
正に世の中の男の憧れ、そして、男が試される美しき牙城。
彼女の心を射止める為に何人の男が挑んだことか……! その数々の連敗記録は新聞に載る程なんですよ!」

その話にマリィの眉がぴくりと動く。

(本当に私の話? 絶対違うわよね?むしろ 違って欲しいわ! どう考えても盛られすぎだわ。通りで下心丸出しの男しか会わないわけよ。こんな噂広められたら、変な男しか寄らないじゃない! 誰よ、そこまで盛ったの!
ていうか、私の知らないところで、私、新聞に載ってるの!? 
そもそも私、子持ちだし……不服だけど人妻だし! セレスチアの常識どうなってるのよ!)

疲労と安堵で限界なマリィも流石に聞き捨てらず顔を顰める。しかし、デニスはそんなマリィには気づかず話を続けた。

「ですが、昨夜、例の奴らに攫われて……!」

デニスは立ち上がり、マリィに駆け寄ると感激したようにその手を握った。

「よくぞご無事でした!私達はずっと貴方を探していたんです!
国王陛下からも最優先で保護するようにと厳命されていましたし、今回の件で被害に遭われた方々は皆、決して口には出せないような目に遭われたので……!
本当によく頑張りました。お怪我はございませんか?」

そのデニスの勢いに、マリィは気圧されるが、引きつった愛想笑いを浮かべながら、どうにか返答する。

「え、えぇ……特には……」

「あぁ、何と華奢な手……これでよく彼らの手から逃げられましたね」

「あ、あはは……えぇ、まぁ、何とか……」

マリィにも淑女の自覚はある。
絶対に殿方の股間を蹴り上げただの、追っ手に生ゴミをぶちまけ痰壺を投げつけ、終いには蹴り一つで瓦礫の下に沈めただの言わない。言えない。言ったらドン引きされるだろう。白百合姫の肩書きがゴリラになってしまう。

そう考えマリィが引き攣った笑みを浮かべる。それをフィルバートはどう思ったか眉根を寄せた。

「デニス。彼女から手を離せ。
みだりに触れるな。先程まで彼女は事件の渦中にいたんだぞ」

その言葉にデニスはハッとなり、マリィから手を離すと、勢いよく頭を下げた。

「申し訳ございませんでした!」

デニスは明らかにしまったという顔をし、申し訳なさそうに身体を縮こませた。
その頭にぺたんと垂れる耳が見える。幻なのに。マリィは何だか可哀想に思えてきた。

「私が配慮に欠けておりました! 申し訳ございませんでした!」

「え、い、いえ……」

「本当に申し訳ございませんでした!」

何度でも頭を下げる彼にマリィが戸惑っていると、マリィの隣にいた彼は一先ずこれで良いと安心したのかマリィとデニスを一瞥して歩き出した。
歩き出した彼にマリィは目を見開き、引き止めた。

「待って! 御礼をまだ言っていません!」

マリィは彼のおかげで最後の最後のピンチを潜り抜けられた。彼がいなければ自分に要らない傷がついただけでなく、そもそもあの酔っ払いの男にどんな目に遭わされたか分からない。

せめて感謝を伝えたいとマリィは彼を追う。
だが、彼はそれを制するように首を横に振った。

「礼は要らない。貴方が無事だっただけで俺は十分だ。
早く家に帰れ。貴方には待っている家族がいるんじゃないか?」

「……っ!」

その瞬間、ハッとなりマリィは息を飲む。

やってしまった、とマリィは思った。

家族と聞いて脳裏に浮かんだのはルークだ。あの子のことだ。マリィが攫われたと聞いて、どうなるか……想像に難くない。マリィの顔からさあっと血の気が引いていく。

「……魔法が……不味いわ」

マリィからぽつりと零れた言葉に、帰宅しようとしたフィルバートは足を止める。

マリィは焦った。そして、後悔した。悠長に安堵している暇など無かった。自分が真っ先にすべきことは、すべきことだったのは……。
マリィは血相を変えて、デニスに詰め寄った。

「お願い! 今すぐ公爵邸に私を送って!」

「え、えぇ!? どうしたんですか! 急に……!」

「子どもが……ルークが! 大変なことになる! お願い、今すぐ帰りたいの!」

あまりに必死な様子にデニスは困惑する。そんなマリィのもとへフィルバートは引き返し、彼女に問う。

「ズィーガー公爵夫人。家は何処だ。俺も同行する」

「よ、良いのですか……!?
私の家は……ルクセン通りの……」

マリィがしどろもどろになりながら自分の住所を説明すると、フィルバートはデニスの方に視線を移した。

「デニス、行くぞ」

「は、はい! ……って、先輩まで行くんですか!? なんで!?」

「何でも良いだろう。彼女と彼女の子どもの為にも早く行くぞ」

「はっ! ははぁーん、またいつもの勘ってやつですかー? 先輩って本当お人好しなんですから!」

「デニス!」

何故か得意げな顔をするデニスに馬車を用意させる為にフィルバートは彼を急かし追い出す。
そうなればこの場にはマリィとフィルバートの2人きりになる。
先程まで賑わっていた街には既に誰もいない。
そんな異様な静寂の中、フィルバートはマリィに一つ質問した。

「もしかして、貴方はいつかの……あの王立図書館で会った令嬢か?」

その問いにマリィは目を見開き、何度も頷いた。

「はい、はい! そうです! あの時は本当に助かりました。そして、今回も……!
私、貴方にもう一度会いたかったんです。
私の子どもは、ルークは……!」

「魔法使いか……」

フィルバートの表情が険しいものになる。長い前髪の下で、琥珀色の目が細められる。

「魔法使いは一度その心が不安定になると魔法を制御出来なくなる……まずいな。何が起こってもおかしくない……」

フィルバートはそう呟くと、マリィに手を差し伸べた。

「貴方に覚悟はあるか?
……魔法使いと向き合う覚悟が」

その問いに一瞬だけマリィは驚いたが、だが、しかし、直ぐにその手を掴んだ。

「もうとっくの昔にあるわ!」

即答したマリィに、フィルバートは淡く微笑んだ。


2人の向こう側、遥か遠くには、夜でも分かるほどに黒く分厚い、そして、生き物のように蠢く暗雲があった。












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