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2章「暁の鏡とさ迷える魂」

6.涙を携えた月下美人

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 露を携えた月下美人が風に触れている。涙を堪える女性のようにも見える。その花に手を伸ばし、指で露を拭う。
 手の上に、白くて小さい手が重ねられる。顔を見ずとも分かる。頷いて手を握り、立ち上がる。
鬼神さまは、誉の手を引っ張り、どこかへ連れていこうとする。誉は、行き場所を尋ねることなどせずについて行く。
 鈴のような音がだんだん近づいてくる。月下美人は銀色の光を放って、大きな蕾を揺さぶって誉の足元で主張している。
「月光どの……」
 その時、風が吹いたような微かな声が誉の耳に入ってきた。上を見ると、薄墨色の空に太陽のような色をした人が座っている。
「なぜに月光どのを、月光どのにあのような真似をなさる」
 唐紅の地に、金で模様を描いた華美ともいえる法衣。目に痛いその姿は、まさに日光。
「おのれ人よ。我が恨みは深いぞ」
 目から流れる涙は、火のように赤い。
 鬼神さまが、立ち止まる。そして、僧の足元を指差す。そこには、一際大きい月下美人が項垂れていた。
 また手を引かれ、その月下美人を挟むようにして、立つ。近くで見ると、花は僧の涙で、赤く濡れていた。
 鬼神さまが二人の間にある月下美人を根っこごと地面から取る。慎ましく閉じている花に、薄桃色の唇を当てる。
 すると、閉じていた花が開き始めた。鬼神さまは誉を見上げ、微笑む。誉は、鬼神さまの手からその花を受け取る。
 そして、金の法衣をまとった僧へ向かって、思い切り腕を突き出した。誉の手の中から離れた月下美人は、上へ上へと飛んでいく。だが、嘆き悲しむ僧にはその姿が見えないのか、気付いた様子はない。
「日光どの、日光どの!」
 そこで、誉は口の周りを手で覆って、叫んだ。
「某が、月光が参りましたぞ! お顔を上げてくだされ、日光どの!」
 僧が顔を覆っている手をとり、周りを見渡す。そして、自分に向かって飛んでくる花を見、尖らせていた目を和らがせた。
 僧の目から涙がほろろと零れてくる。
「月光どの……月光どのではないか」
 ああ、と僧の口から感嘆が漏れた。
「ようやく、ようやく某の元へ来てくれたのか」
 両手を広げて、花を受け止める。涙の色は、赤みがだんだん薄くなり、透明になってきていた。
「長い、長い間、あなたのいない時を過ごしましたぞ」
 一輪の花を抱きしめる姿に、誉は言いようのない想いが胸から込み上げてきた。
「今度は、誰の空事も聞いたらあきませんよ」
 赤くなってきた目元に、鬼神さまが手を伸ばしてくる。背伸びをしても足りない身長差に、鬼神様は悔しく思いながらも、指の先まで力を入れる。それに気づいた誉は、腰を曲げる。そうしてやっと届いた誉の涙を、鬼神さまは拭った。
 誉は、鬼神さまの手を握り、微笑む。その二人の元に、暁の鏡がゆっくりと落ちてきた。それを恭しく受け取り、誉は鬼神さまに首をかしげる。
「戻りましょうか、今世さま」
 鬼神さまは、小さく頷いた。
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