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2章「暁の鏡とさ迷える魂」

7.明日は晴れる

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 寝巻にしてるスウェットのまま、階段を駆け下りていき、外へ飛び出した。背中に母の声が届いてくるが、誉は構わずに自転車に飛び乗り、走っていく。
 信号を渡り、五十鈴市民プールの前を突っ切る。三つめの角で曲がり、細い路地に入った。そして、神社の石柵沿いに向かい、鳥居の横から神社に入る。入り口の右側に祀られている新忠魂碑の前に自転車を止め、カゴに入れていた物を手にとって鳥居をくぐる。慌てすぎたために足がもつれてこけそうになった。
「すみません、先日お伺いした日諸祇です! どなたかおられませんか!?」
 そう大声で叫ぶ。すると、この前とは違い、すぐに姉が飛び出してきた。
「誉! アンタ何しにきたんや!」
「姉ちゃんごめん! これっ、暁の鏡……返してもろた!」
 ええっと姉が大声で叫ぶ。誉は、汗だくになりながらも姉に、手に持っていた暁の鏡を差し出した。
「日諸祇さん、どうなされました?」
 後から来た神主も、誉の手に持っている古めかしい鏡を見て、ああっと叫ぶ。誉は、その姿を見て、頭を下げた。
「この間は逃してしまってすみませんでした!」
「い、いえ」
「それで、お願いがあるんですが、聞いてもらえませんか」
 姉が誉、と注意するような声を出す。だが、それでも誉は言葉を続けて出した。
「日光坊さんと、月光坊さんの弔いを……護摩焚きをしてあげてほしいんです。できれば、愛宕山の方に向かって」
 愛宕山には、日光坊の脳を一族が祀っているという話がある。それが本当ならば、二人を一緒に弔ってあげたい。もう二度と離れてしまうことがないようにしてあげたい。そう誉は思っている。
 深く深く頭を下げる誉を見た姉は、
「私の方からも、よろしくお願いします」
 自分も横に立って頭を下げた。
「分かりました」
 頭を下げる姉弟を見た神主は、神妙な顔つきで頭を縦に振った。
「ありがとうございます!」
 頭を上げた誉は、やっと神主に近づいていく。
「暁の鏡、お返しいたします」
「はい」
 そして、日光坊から返してもらった鏡を神主の手に渡した。
 ***
 ぽんっと心の弾む音をさせて、黒いコウモリ傘が開く。鬼神さまが濡れることがないように位置を調整する。
「しっかしまあ、見事なまでの雨やな」
「そうやなー」
「こんなに降ったら、逆に作物に悪そうだね」
 コンビニで売っていそうな透明のビニール傘を差す三和と、シックな濃い緑色の傘を差す岸辺と一緒に校舎を出る。
 激しく傘を打つ雨粒の音を聴きながら、誉はそっと空を見た。
 この雨と共に、あの二人の霊が去ってくれればいい。雨の後の、思わず笑顔になってしまうような、そんな晴れが、彼らにも来てくれればいい。空と同じで、人はずっと同じ天気のままではいられない。
 今日とも知れず、明日とも知れず。人は日々死へと近づいていく。雨の雫のように、露の玉のように多くの者が亡くなっていく。
 人が死ねば骨ではなく、微かな記憶のみが残る。その記憶は、時には人を傷つけ、時には人を救う。
「おお、虹や」
「二本なんて、珍しいね」
 わっと笑顔になり、水たまりを避けて歩いていく二人。つられて空を見た誉は足を止めた。雨が去っていった北の空に、二本の大きな虹があった。
 息をのんで見つめる誉の隣に、童子姿の鬼神さまが現れる。誉は胸ポケットを触り、そこになにも入っていないことが分かると、目を丸くさせた。
 誉、と鬼神さまが手を握ってくると、顔を綻ばせて虹を見る。
「まぼろしのように、美しいですね」
「そうじゃな」
 誰かの微笑み顔のような虹は、優しく空を彩っていた。
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