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5. 禁域編

神獣の救出

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「……と、これが最低限、現段階で必要な事だと私は考えます」

 手早く情報を共有したディートマルが、皆を見回しながら言った。彼の話した言葉、内容に異を唱える人物は誰もいない。
 僕も動けない身体をよじるようにしながらも話を聞いていた。非常に理にかなっていて、完璧な作戦だと思う。
 つまりはこうだ。アグネスカと僕の間で神力の流れを作り、大量に放出される僕の神力をアグネスカへと受け渡すを作る。それを行い、僕の神力の放出量を正常に戻す。
 それが出来れば、僕の暴走も止まるはずだ。僕の体を傷つける神力の放出も抑えられる。
 だが、難しい表情をしながらギーがうめいた。その身体の羽はやたらめったら長く伸びて重たそうだ。

「委細承知した。だが、どうする?」
「やるべきとは思います。思いますが……どうすればいいんでしょう?」

 今回の作戦のキーマンでもあるアグネスカも、困ったように僕の方を見てきた。
 そう、作戦は完璧だ。問題はそれを遂行するためには、超えなければならない障害がいくつもある、ということだ。
 イヴァノエが太くなった脚を小さく噛みながら言葉を吐き出す。

『エリクに近づくのでも一苦労だ、畜生め。脚がビキビキ悲鳴を上げやがる』
「前衛役が実質的にアルドワンの巫女様と私だけ、というのがつらいですねぇ。どうしましょう」

 アリーチェも気持ち大きくなった耳を触りながら言った。確かに、僕に近づかないと神力の繋がりは作れないが、僕に近づいたらその瞬間に神力が多大に活性化されてしまう。
 実際、神力の活性化をほぼ一身に受けているアリーチェは、普段からもふもふな全身がさらにもっふもふになり、尻尾も増え、牙も爪も長く伸びていた。彼女より神力の活性化の影響が少ないギーでさえも、翼が大きく成長している。
 なんとかして、僕にアグネスカが触れられる状況を作らないとならない。しかしアグネスカに戦闘力は無いのだ。彼女を守りながら進まないといけない。
 イルムヒルデが翼を組むようにしながら軽く首を振る。

「アグネスカ様をダヴィド様の傍に近づけること、お二人の間に神力のつながりを作ること、これが最低限必要なことです。使徒と巫女、神力の流れる道は触れれば自然と繋がりましょう」

 そう話しながら、イルムヒルデはゆっくりと足を踏み出した。アグネスカに近づいていきながら、彼女は話を続ける。

「しかしダヴィド様の傍に近づけば放出される神力の影響で『恵み』をもたらされ、身体が成長させられてしまう」

 アグネスカの目の前までやってきたイルムヒルデが、そっとアグネスカの顔を撫でた。目を細めるアグネスカに、言い聞かせるようにイルムヒルデは言う。

「ですので、私が守りを施します。『人は獣に非じイズント・ア・ビースト』と『神は育たじゴッド・ダズント・グロウ』、そして『神の口は開くゴッヅ・マウス・オープン』。これでアグネスカ様の神力の放出力を上げつつ、肉体を守ります」

 顔をさらさらと撫でていきながら話すイルムヒルデに、アリーチェが首を傾げた。
 呪術士シャーマンの紋様を描くには、自然由来の植物や綺麗な水が必要だ。既に僕の神力のおかげで呪圏の中は草原のようになっているし、植物なんて山のように生えているが、しかしここは邪神の領域。いつどこで邪魔が入るかもわからない。
 実際、アリーチェが眉間にシワを寄せながら口を開いた。

「でも、呪術士シャーマンの紋様を描くだけの道具と余裕、あります?」
「ありませんとも」

 アリーチェの言葉にイルムヒルデがコクリと頷く。その間にもイルムヒルデの翼はアグネスカの身体に触れ、何かを探っているかのようだ。
 話しながら、イルムヒルデがアグネスカの胸に手を置く。

「ですので、こういたします。アグネスカ様、そのまま動かないでいてくださいませ」

 胸元から、螺旋を描くように一筆。そのあとに頭とお腹にもさっと触れると、たちまちアグネスカの全身に複雑な紋様が、光を発しながら現れた。
 僕も驚いた。呪術士シャーマンの紋様はこんなにすぐに描けるものでは無いはずなのに、今までさっと撫でていた場所にしっかりと紋様が描かれている。

「あ……」
『マジか。こんな一瞬で描けるもんなのかよ』

 アグネスカが声を漏らすと、隣で見ていたイヴァノエも目を見開いた。
 皆の体の異常を治していたマドレーヌが、皮肉っぽい笑みを浮かべながら話し始める。

「さすが、稀代きだい呪術士シャーマンと名高いお方だわね。呪を施すのも撫でるだけで為せるとは」
「これが世の呪術士シャーマンの目指すところであるからな。とはいえこの高みにいるのは、アイヒホルンの使徒のみであろう」

 ギーも満足そうに頷いて言う。確かにこんな事ができたら呪術士シャーマンはもっと、柔軟に戦闘で動くことが出来る。イルムヒルデにしか出来ないことだというのも納得できることではある。
 自分の体の紋様を見ながら、アグネスカが目を見開いた。

「もしかして、さっきエリクの目を撫でた時にも……」
「ええ、呪眼の力を抑えさせていただきました。あれが働いていますと、我々も急速に老いる・・・ことになりますものね」

 イルムヒルデの話を聞いて、その場の全員が目を見開く。確かに僕の呪眼がフルに能力を発揮したら、それこそ全員ひとたまりもない。
 身体が成長するならいいが、成長しすぎた肉体は老いも早いのだ。アリーチェは何かを察したように息を呑む。

「うわ……じゃあ、もし呪眼がフルに働いている時にこんな事になったら」
「我々は一瞬で再起不能にさせられていたでしょうね。万一の時にという策でしたが、僥倖ぎょうこうでしたわ」

 アリーチェの言葉にイルムヒルデが頷いた。確かに、一にらみしただけでその場の全員をおじいさんおばあさんにするとか、無茶苦茶だしそもそも戦い自体がおぼつかない。そうならなくてよかった、と言うことだろう。
 と、暴れ続けていると両手の前脚に突き刺さった氷が砕けた。ようやく動けるようになった僕が、呪圏の天井を見上げながら吠える。

「オォォォォ……!!」

 呪圏に向かって吠え声を上げる僕に、アグネスカとアリーチェが揃って悲痛な声を上げた。こうしている間にも僕の身体は悲鳴を上げ、大量の神力で草原がどんどん広がっているのだ。

「エリク……!」
「エリクさん……!」

 早く、どうにかしなくては。悩んでいる時間もないが動きあぐねるアグネスカの前に、イヴァノエが身を伏せながら言った。

『アグネスカ、乗れ。俺が走れば早い』
「イヴァノエ……!? でも、あなたは」

 アグネスカが目を見開きながら言った。そうだろう、この中にいる者の中で唯一の魔物、神力を身体に持っていないイヴァノエなのだ。
 神力の生産がそもそも無い彼らにとって、神力を流し込まれるというのは文字通りの自殺行為だ。生きているだけでも褒められるくらいのものなのに。
 するとイルムヒルデが、イヴァノエの顔部分を撫でながら話す。

「イヴァノエ様にも『神は育たじゴッド・ダズント・グロウ』を施させていただきますね。これで痛みはなんとかなるでしょう」
『助かる』

 イヴァノエの顔部分をさっと撫で、紋様を描くイルムヒルデだ。礼を述べるイヴァノエに、アリーチェがそっと寄り添う。

「私も支援しますよぉ。私なら気にせず前に出られますからね」
「お願いします、アリーチェ」

 状況は整った。アグネスカ、アリーチェ、イヴァノエの三人で僕を助けようというのだ。念入りに準備して悪いことはないだろう。
 アグネスカがイヴァノエの背中に乗って、きりりとまっすぐに暴れ始めた僕を見る。

『よし……行くぞ!』
「行きます!」

 アグネスカの言葉を聞いて、イヴァノエが呪圏の地面を蹴った。同時にアリーチェが前に飛び出して走り出し、すぐさまに他の四人も動きだす。

「あなた、三人の支援を」
「心得た」
「私も後方から援護しましょう」

 マドレーヌの言葉を聞いてギーも前に出た。イルムヒルデとディートマルも神術を唱え始める。
 走る、走る。生え出す植物をかわし、伸びてくる木や枝を払いながら。

「オアァァァァ!!」

 僕がもう一度吠えた。その声で神力が溢れ出し、植物が壁のように立ち上がる。その壁をかわしたイヴァノエが、下草を蹴り飛ばした。

「エリク……!」
「よし、もう少しで――」

 アグネスカが僕の名前を呼び、アリーチェが小さく笑ったところでだ。
 今までずっと呪圏の中で逃げ回っていたエスメイが、立ちはだかるように僕とアグネスカの間に立ちはだかった。

「おっと、ほっぽらかしてないで俺とも遊んでくれよ」
「く――」

 邪魔が入った。全力で走っているイヴァノエにエスメイをかわせるとは思えないし、何だったらそのままぶつかりそうな勢いだ。
 と、そこでイヴァノエが速度を上げた・・・・・・

『邪魔すんじゃ、ねぇぇ!』
「イヴァノエ!」
「くっ、無茶を!」

 速度を上げたイヴァノエがエスメイに噛みついた。同時に背中に乗せたアグネスカを地面に落とす。
 無茶も無茶だ。噛みついて止められるような相手ではない。どころかエスメイに接近するということは、『器』に手を出される危険性があるということだ。
 だが、エスメイを止めるためにイヴァノエはその選択をした。アリーチェもエスメイに挑みかかりながらアグネスカに声を飛ばす。

「アグネスカさん、行ってください! こいつは私達でなんとかします!」
「すみません……!」

 イヴァノエがエスメイに食らいつく中、アグネスカは走った。僕に向かって、僕の足元へ。

「エリク……!」

 僕の名前を呼ぶ声が聞こえる。息遣いが聞こえる。

「エリク!!」
「オ――」

 もう一度強く名前を呼ぶ。そしてぐ、と伸ばされた手が僕の方へと近づいてきた。
 それを見てか、エスメイがいまだ食らいついて離さないイヴァノエに右手を突っ込む。

「くそ――」
『ぐわっ』
「イヴァノエさん!!」

 『器』の操作だ。アリーチェが悲痛な声を上げる。だが、エスメイに『器』を操作されたイヴァノエが地面に転がるより先に、僕の身体にアグネスカの手が触れた。
 神力が流れ出していく。身体の中で暴れていた神力が落ち着いていく。

「う、あ……」

 そして僕の身体が、精神が落ち着きを取り戻していくのを感じながら、僕は僕の身体にアグネスカがもたれかかってくるのを見ていた。
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