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5. 禁域編

呪眼獣

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 呪圏の中は薄暗いなんてレベルでなく暗い。暗く輝くエスメイの姿以外は、近くにいる人の姿もぼんやりとしか見えないくらいだ。
 だのに、荒れ狂う僕の足元から、ものすごい勢いで草花が生え、伸び、枯れていく・・・・・のまでがハッキリと見えた。おまけにその草花が神力を受けて光り輝いている。
 こんなのはおかしい。普通じゃない。どうにかしたいのに、どうにかしようとしても身体が言うことを聞いてくれない。

「オ、オ、オォァァァァ!!」

 また、僕の喉から獣の悲鳴が響き渡った。太く、禍々しく、恐ろしい声が。同時に振るわれる僕の前脚。それが呪圏の地面を揺らし、アリーチェやギーの身体へと迫る。
 アリーチェが氷の壁をノーモーションで作り上げた。その壁に僕の前脚の爪が当たる。氷の壁は、一瞬で水になって地面に広がった。

「エリクさん、落ち着いて!!」
「坊や、しゃんとなさい!!」

 アリーチェが叫ぶと同時に、そのアリーチェを回復していたマドレーヌも必死に声を上げた。
 誰もかれもが必死になって、僕を・・止めようとしている。当然だ、僕に落ち着いてもらわないと、エスメイに構っていられない。
 遠くでは激しい戦闘を見つめながら、唯一戦う力を持たないアグネスカが震えていた。愕然とした表情も、息を呑む音も、完全な呪眼獣カトブレパスになったからか、よく見える、よく聞こえる。

「こんな……こんなことって……」
「アグネスカさん、こちらへ! 私の側に!」

 と、そこでディートマルがアグネスカの手を引いた。僕からさらに距離を取るように動く。荒れ狂う僕から離れるように走るディートマルへと、アグネスカが声を上げた。

「エリクは……エリクは、どうなったんですか、ディートマル様?」

 悲痛なアグネスカの声に、ディートマルが苦し気に目を細める。いくらか僕とギー、アリーチェが戦闘する場所から距離を取ったところで立ち止まると、ディートマルは嚙み含めるように言った。

「エスメイによって、神獣としての力を暴走・・させられているんです。体内で神力が過剰に生産され、荒れ狂っている……それを制御できなくて、ああして暴れているんです」

 そう話しながら、ディートマルが僕の方を見る。頭を振り、脚を振り回し、周辺に生えては枯れる草花を散らしていく僕と、ディートマルの視線が一瞬だけぶつかった。
 その顔は、とても悲しそうに見えて。眉間にしわを寄せながら彼は言う。

「見てください、前を」
「あ……」

 促されて僕の方に目を向けたアグネスカが声を漏らし、目を細めた。
 そこでは、回復魔法を使い続けていたマドレーヌが膝をついていた。傷をつけられたわけではない。胸を押さえてうずくまるその腕が、明らかに肥大化・・・・・・・しているのだ。
 マドレーヌはインゲ神の使徒だ。その身体からは神力が生産され、神術を行使することで放出される。しかし今は、僕が神力を湯水のようにばらまいている。影響は確実にあるはずだ。

「く……うっ……!」
「エイゼンシッツ様、お気を確かに!」
「アルドワンの使徒様、後ろへ! 私なら多少は大丈夫ですから!」

 後方からイルムヒルデが駆け寄ってその身体に手を添えた。かばうようにアリーチェが前に立ち、同時にイヴァノエも飛び込んでくる。
 イルムヒルデに付き添われるようにして身体を起こしたマドレーヌが、よたよたと歩きながら後方に下がる中、ディートマルが苦々しい表情をしながら話す。

「エリクさんの呪眼がもたらす『恵み』が、使徒の神力を活性化させて肉体をむしばませています。使徒はもとより神力の生産量が多い、そこを無理やり底上げされては、ただではすみません」

 そう言いながら、ディートマルが身を屈めた。僕が暴れ回る過程で生えて、しおれていった花を摘み取る。手の中で力なく倒れた花を見ながら、ディートマルは口を開いた。

「過ぎたる『恵み』は滅びを近づけます。当然エリクさんの身体も、このままでは傷ついてしまいます」

 その花をぐ、と手の中で握りながら、ディートマルは再び僕へと目を向けた。
 その言葉は真実だ。今もこうして、神力が噴き出すのと一緒に僕の皮膚は破れ、血が地面の草花を濡らしている。そしてそこから、また花がにょきにょきと咲きだしている。
 既に僕の身体は自分の内側から裂けて、破けて、あちこち傷だらけだ。しかし同時に、他の皆も骨や筋肉、血管が膨らみ傷を負っている。
 このままでは、皆死んでしまう。

「どうしよう……このままじゃ、皆さんがエリクに殺されてしまう」

 アグネスカもそう発しながら、ディートマルの手を強く掴んでいた。彼女の手にそっと手を添えながら、ディートマルが声を出す。

「何とかして、エリクさんの暴走を止めなくてはなりません。それと同時にエスメイへの対処も必要だ。今は呪圏に潜って逃げ回っていますが、何とかして抑え込まないとならない」

 僕をどうにか止めて、同時にエスメイにも対処する。きっぱりと話すが、しかしディートマルの表情は暗い。
 僕がもう少し、この身体をどうにか出来れば、もっと対応は簡単になったかもしれないのに。これだけ強くなって、力も溢れてきていて、しかしエスメイは逃げ回ってちっとも出てこない。
 と、ようやくディートマルとアグネスカの傍まで戻って来たマドレーヌが、激痛に顔を歪めながら二人に声をかけた。

「だけれど、どうするのです? ディートマル様……今の坊やは、神獣と考えたとしても、桁違いの力を振るっているのよ」
「マドレーヌ様!」
「大丈夫ですか、身体が」

 彼女の腕は太さを増し、まるで男の人の腕のようだ。おまけに脚も太くなっているのだが、それより何より目を見張るのは彼女の尻尾・・だ。
 太く長くなっているだけではない、数が増えている・・・・・・・。三本になった尻尾を片手でそっと持ち上げながら、心配そうに声をかける二人へとマドレーヌはため息を吐いた。

竜種の蘇生屋ドラゴンリザレクターを、舐めてもらっては困るわね……そうでなくても坊やのおかげで神力が高められているのだもの。発達しすぎた身体を元に戻すなんて、今ならチャチャッと出来るわ」

 そう話しながら、マドレーヌは自分の尻尾をぐっと握りこんだ。増えた分の尻尾が骨を失ったようにぐにゃんとなり、崩れ去るように無くなっていく。
 その様子をもっと見ていたいが、僕は全くもってそれどころではない。一ヶ所をじっと見ているだけでもつらいのだ。
 そんな有様の僕へと、身体を戻しながらマドレーヌが視線を投げる。

「私のことはいいの。坊やのことよ」
「そうです、ディートマル様、何か案はありませんか」

 アグネスカも一緒になって、僕を見つめながらディートマルへと問いかけた。
 既に答えは彼の中にあるようで、ディートマルがアグネスカの手を握り返しながら話し始める。

「確かにエリクさんの最大の強みであり、今こうして猛威を振るっている莫大ばくだいな神力の生成を、どうにかしないことには話を始められません。その為にはエリクさんの内から生じる神力の泉、そこから湧き出す量を元に戻さないとならない」

 そう話しながら、ディートマルがそっと身を屈めた。アグネスカと視線を合わせるようにしながら、真剣な表情で話す。

「その為にはアグネスカさん、貴女の力が必要です」
「私……私、ですか?」

 ディートマルの発言に、アグネスカが目を見開いたのが見えた。僕の動きも、一瞬だけだが僅かに鈍るのが分かる。
 ここにいる誰もの中で、ただ一人戦うための能力も、技術も持たないアグネスカが、僕を止める。どういうことかと疑問を持つより先に、自分の腕の治療を終えたマドレーヌが頷いた。

「……そうね、坊やの巫女はお嬢ちゃんだもの。本来なら坊やの神力はお嬢ちゃんの方に流されていくものだわ。それが四方八方に溢れて撒き散らされている」
「はい。使徒の生産した神力は巫女に流れ、巫女によって世界に放出される。エスメイによってその流れは断ち切られた。本来の流れをもう一度作らないとなりません」

 ディートマルもこくりと頷いてから、マドレーヌの言葉の後を継いだ。
 確かに、僕もアグネスカから話をされたことがある。三大神の使徒と巫女には神力の結びつきがあり、使徒から発せられる神力は使徒自身が放つと同時に、巫女にも流れていくのだと。
 使徒と巫女が結婚して夫婦になるのも、つまりはその結びつきを強めるため、なのだそうだ。それなら、そうするのが普通だとマドレーヌやイルムヒルデが話すのにも納得がいく。
 マドレーヌが、治ったばかりの右手でアグネスカの肩を優しく叩いた。

「お嬢ちゃんは坊やのなのでしょう? しゃんとして、泣き喚くを収めてやりなさいな」

 そう言いながらマドレーヌはうっすらと微笑んだ。言われて、アグネスカもハッとした表情を見せる。
 僕は弟で、彼女は姉で。僕は苦しんでいて、困っていて。
 少し悩んだ表情を見せていたアグネスカも、決意を固めたのかこくりと頷く。

「……自信は無いですが……はい、やってみせます」
「よろしい。では作戦を伝達します。マドレーヌさんは前方の面々に連絡を! エリクさんの動きを一瞬だけでも止めるのです」

 そこですぐにディートマルも動き出す。話がギーやアリーチェにも伝わるや否や、氷の塊と僕の生やした植物が僕の脚や身体に絡みついた。
 僕の動きが、がちりと止まる。身体から溢れ出す神力が勢いを増す中、使徒と巫女、伴魔達は一斉に僕から離れ、手早く情報を共有し始めた。
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