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5. 禁域編

神との対峙

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 呪圏の中を、やはり僕ははっきりと見ることが出来ていた。薄暗い空間の中、明らかな存在感を持って立っている獣人族アニムスの少年のような存在。
 エスメイが、角を備えたループの頭を傾け、上を見上げた。

「ん?」

 その視線の先には、呪圏に乗り込んできた僕達の姿がある。ふわりと呪圏の地面に着地して、まずイルムヒルデが口を開いた。

「エスメイ、やはりここにいましたわね」
「なかなかお見えにならないので、こちらから伺いましたよ」

 ディートマルも挑発するような目をして、エスメイに言葉を投げかける。そうして僕達も、マドレーヌとギーも、一緒に呪圏の地面に降り立つのを見て、腰に手をやりながらエスメイが目を見開いた。

「へえ、そう来たか」

 そう発しながら、舐め回すように僕達を見てくる邪神。その視線が、先頭に立つイルムヒルデへと向けられた。

「お前のことはちっとも知らないわけじゃあないが、まさか呪圏の中に踏み込んでくるような女だったとはな、イルムヒルデ」
「あなたの地階マテリアル降臨を阻止するには、これが一番なのですわ。分かっておいででしょう」

 感心したような、嘲るような声色で言ってくるエスメイに、イルムヒルデがきっぱりと言い返す。
 それを受け取り、にやりと笑った彼が右腕を横へと伸ばしながら言った。

「そりゃあそうだ。俺の手中には見ての通り、エリクの身体から複製した『心臓』がある」

 そう言いながら彼が指し示した右手側、そこには脈動する僕の「心臓」が浮かんでいた。
 いや、浮かんでいた、という表現は適切ではない。まるで骨格標本のような、エスメイの骨を写し取ったかのような獣人族アニムスの骨格が宙に浮かんで、その中に僕の「心臓」が収まっているのだ。
 「心臓」とそれを包む骨格を見上げながら、エスメイが嬉しそうに言う。

「見ろ、既に骨格までは完成したんだ。あと半日もしたら、皮膚や体毛も構成できて『俺の人間種ユーマンとしての身体』が出来上がる」

 僕達に見せつけるように言いながら、エスメイは沸き立つ心を抑えられないとばかりに言った。それは嬉しいだろう、これが出来上がったら彼の悲願は達成されるのだ。
 嬉しそうにくるくると、自分の新しい身体の周りを回りながら、エスメイは子供がはしゃぐようにしながら言った。その姿にイルムヒルデ以外の全員が目を見開いている。
 それはそうだろう、世界にその名を知られた邪神である。こんな、普通の子供のような振る舞いをするだなんて誰も思わない。
 再び新しい自分の身体の前に立ちながら、エスメイが両腕を広げた。

「これが出来上がって、俺が肉体を得たら、もうこんなチンケな禁域に留まっている理由はない。俺は地神スヴェーリの一の使徒として、邪神三柱の威光をルピアクロワの人間どもに知らしめるんだ。三大神の権威を、俺の手で塗り替えてやるんだ」

 満面の笑みを見せながら言い放つ彼に、ディートマルが鼻を鳴らしながら冷たく返す。

「ふん、聞こえのいいことを仰いますが、要は地階マテリアルに降りて意のままに力を振るいたいだけでしょう」
「同感だ。如何に貴様が美辞麗句を並べ立てようと、貴様が悪神であることに変わりはない」

 ギーも前に立って武器を手にしながら、きっぱりと言ってのける。その後ろに立つマドレーヌも、険しい表情をしながら口を開いた。

「ゲヤゲ島の禁域は今も拡大しているのよ、邪神エスメイ。このままでは地階マテリアルだけではない、天階ドゥーフにも悪影響だわ。さっさとあなたの愛する神様の足元に還りなさい」

 びしりと指を突きつけるマドレーヌの腕で、黄金のブレスレットがしゃらりと鳴った。その音を聞きつつ、イルムヒルデも翼を組みながら告げる。

「滅されよ、とまでは申しませんわ。私達三大神の使徒も悪鬼ではありませんもの。ですが、邪神の跋扈ばっこを看過するほど優しくもありませんのよ」

 四人の人間に厳しい言葉を投げかけられて、しかしエスメイはめげた様子も悪びれた様子もない。口角を持ち上げながら、彼があざ笑うように言った。

「言ってくれるな、火神インゲの使徒マドレーヌ、そして水神シューラの使徒イルムヒルデ。そしてその巫女ども。そこまで俺に強く出るなら、俺がお前たちの後ろに隠れる子供に何をしたか、分かっているんだろう」

 そう言いながら、彼が目を向けてくるのは、当然、僕だ。

「なあ、エリク?」
「っ、エスメイ……」

 アリーチェの背中に隠れるようにしながら、僕は小さく声を漏らした。
 怖い。彼の目的に、僕は間違いなく関わっているのだ。なにせあの骨の中で動いている心臓は、僕から複製したものなのだから。
 おまけに僕の魂は、エスメイに掌握されてしまっている。エスメイを抑え込むのに、僕が邪魔をしてしまうかもしれない。
 僕の手を握りながら、アグネスカが力強く言った。

「エリク、耳を貸してはいけません」
「私たちが一緒にいますからね」

 アリーチェも僕を見ながら小さく笑う。しかしその表情は真剣で険しいものだ。気を抜いている様子など一つもない。見れば、僕の足元でイヴァノエもぴたりと体を寄せていた。
 イルムヒルデが僕を自分の体で隠すようにしながら、鋭い目線を前方のエスメイに向ける。

「ダヴィド様の魂を掌握したこと、それ自体は当然把握済みですわ。『器』を操作し、ダヴィド様を呪眼獣カトブレパスの神獣人に作り替えたことも」
「そうね、坊やはびっくりするほど強くなったわ。神獣人の使徒、当然神力の生産量も桁違い。高位神術も学べば、凄まじい威力が出せるでしょうね」

 彼女の隣に歩み出しながら、マドレーヌも腕を組みつつ言った。細い尻尾をゆらりと揺らしながら、強い口調で彼女はエスメイに話しかける。

「でもね、エスメイ。坊やは子供なのよ。まだ13歳の子供なの。そんな子供を一人籠絡して、おまけにあなたは自分の身体を作るので手一杯。どうしようってわけ?」

 マドレーヌの呆れたような声色での問いかけに、エスメイがスンと鼻を鳴らした。新しい身体の前から離れ、こちらに歩みだすように脚を踏み出す。

「骨組みは作った。後は呪圏に任せれば、俺が作るより時間はかかるが、放っておいても勝手に組み上げてくれる」

 話しながら、彼がもう一歩足を踏み出した瞬間だ。一瞬にして、エスメイの姿が視界から消える。視線を外していないのに一瞬でいなくなったことに、一同が途端に慌て始めた。

「消えた!?」
「呪圏に沈みましたわ! 皆様、構えて――」

 アリーチェが驚きの声を上げると同時に、イルムヒルデがせわしなく視線を巡らせた。呪圏に沈んだということは、どこからエスメイが攻撃を仕掛けてくるか分からないのだ。どこから、どうやって攻撃を仕掛けてくるか、警戒しないとならない。
 だが、そんな暇すらエスメイは与えてくれなかった。

「甘い」

 突然に僕の前に姿を表すと、僕の手を握って再び呪圏に沈んでいった。急速に身体が下に引っ張られる。

「うわ!?」
「エリク!?」
『させるか!!』

 アグネスカがとっさに僕の手を握ろうとするが、僅かに間に合わない。するりと彼女の手を離れて僕は呪圏の地面に吸い込まれていくが、僕の尻尾をイヴァノエがつかんで噛みついた。
 真っ暗だ、何も見えない。息が詰まる。だがそれも数秒くらいで、再び身体が浮上して僕は息を吹き返した。隣でイヴァノエもぜいぜいと息を整えている。

「っぶは……!」
『かっ、は……!』
「エリク! イヴァノエ!」

 アグネスカの声がずいぶん遠くから聞こえる。見れば、15メテロ45メートルは離れたところに立っているようだ。あの一瞬で、エスメイはここまで移動してきたらしい。
 驚きに目を見開く僕を見て、にやりとエスメイが笑った。

「余計なオマケまでついてきたが、まぁ関係ない。さあエリク、存分に遊んでもらえ・・・・・・・・・!」

 そう言いながら彼の右手が僕の胸に触れる。同時に彼の神力が、一気に僕へと流れ込んできた。
 心臓が、ドクンと脈を打った次の瞬間。
 僕の身体が風船が膨らむみたいに一気に膨らんだ。骨が、肉が、内臓が組み変わる。だが痛みはちっとも無い。これは、『器』をいじられた時とは状況が違う。
 同時に身体の中で、エスメイの神力が暴れ回っている。僕の身体から発する僕の神力が膨れ上がり、燃え上がり、際限なく湧き出しては溢れ出していく。

「あ、あ、あ――!!」
『エリク、おい、エリク!! うわっ』

 あまりの変化に僕の意識がついていかない。苦悶の声を漏らしながら僕はどんどん視点が高くなっていく。イヴァノエの声が随分低い。
 ぐらり、と身体が傾いた。両手を地面につける、が、既に僕の手は前脚・・と呼ぶべき形になっていた。これは、これはまるで。

「あれは……!」
「坊やの『器』が……いえ、違うわ!」

 僕を見つめるイルムヒルデとマドレーヌの声にも、驚きと焦りが見えた。彼ら彼女らにとっても、この事態は想定外だったらしい。
 ぐ、と顔を上げて口を開く。

「アァァァァァ!!」

 吐き出された僕の声は、もはや僕の声とは思えないほど禍々しく、おぞましくなっていた。
 神獣人どころではない。これは、神獣・・だ。呪眼獣カトブレパスそのものだ。だが、僕の身体から溢れ出る神力は、並の神獣を遥かに上回っているだろう。

「変身、させたのか……呪眼獣カトブレパスに!!」
「やってくれる……! マドレーヌ、下がれ!」

 ディートマルが、ギーが、辛そうに表情を歪めながら手に武器を握る。エスメイの姿を探したが、いない。また呪圏に引っ込んでしまったらしい。
 そうなれば、彼らの武器が向けられるのは、僕だ。

「エリク!!」
『エリク!!』

 アグネスカが、イヴァノエが悲痛な声を上げる。皆の声が、僕にはひどく遠くに聞こえた。
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