デジタル革命の黎明期、ニューヨーク・タイムズ・カンパニー(以下、NYタイムズ)は、新しい時代を見据えた大胆な事業再構築プロジェクトに乗り出しました。今日で言うところの「デジタル変革(DX)」です。この一大プロジェクトは、CEO兼発行人の大号令で始まり、トップの全面的な権限を後ろ盾に進んでいくこととなりました。
まず、デジタル化を推進する別部門として、子会社となる「ニューヨーク・タイムズ・エレクトロニック・メディア・カンパニー」を設立。デジタルメディアと広告のエキスパートを同子会社の社長に据え、新たなデジタル人材を続々と獲得し、その後数年間、NYタイムズは、デジタル・ジャーナリズムの新しい形を世に示そうと、様々なプロジェクトに取り組みました。
息を呑むほど美しい同社のマルチメディア特集は、ピューリッツァー賞を受賞し、メディアの新たな可能性を期待させた一方、そのような特別なプロジェクトは、日々作成される紙面とは切り離された存在でした。また、レガシー製品である紙媒体の新聞記事の膨大なアーカイブを、技術チームが1851年までさかのぼってデジタル化する一方、編集者は読者の行動を把握するためのデータを欠いていたままでした。同社は、電子メール、ウェブサイト、SNS、タブレット版、仮想現実(VR)、チャットボットなど、あらゆる最新技術の流れに意欲的な姿勢を見せていましたが、戦略的な優先順位は定まっておらず、事業規律も曖昧でした。
やがて、社内に深刻な問題が現れ始めます。デジタル改革を担当する独立部門が設立された結果、デジタル化の推進に携わる人員が限られてしまい、それ以外の者は旧態依然としたやり方に固執する状況が生まれてしまったのです。そして、ビジネスとジャーナリズムが分断された旧態依然の組織構造だけが残りました。トップの狙いとは裏腹に、NYタイムズの各部門の責任者やマネージャー陣は、新しいデジタル事業よりも従来の紙媒体事業を露骨に優先したのです。
また、経営トップですら、「技術は旧来の商品を提供するための新しい手段のひとつにすぎない」という考え方に囚われ、当時のNYタイムズが掲げるDXのビジョンは、中核事業の「デジタル化」、つまり文字どおり、紙媒体に毎日掲載されるものと同じ記事を、最新技術を介して読者に届けることでした。NYタイムズの将来は、何年もの間、過去の商慣習に縛られた状態となってしまいました。