東京ヤクルトスワローズ 髙津流マネジメント2024

「このままじゃ終われない――」
続投要請を受諾した髙津監督は来季をどう戦うのか。

今季の反省を踏まえ、来季はスタンスを変える

――来シーズンは監督6年目となります。これまでの5年間をふり返ってみて、改めて6年目を迎えるヴィジョンはありますか?

髙津 これまでの5年間をふり返ってみると、いろいろと思うところはあります。1年目は、やっぱり張り切り過ぎましたね。ちょうどコロナ禍に見舞われた時期だったけど、「何から何まで、全部自分でやってやろう」という思いでした。もちろん監督なので、すべての責任を負うのは当然のことですけど、「とにかく目の届くことは全部1人でやる」という気構えでした。

――監督初年度となる2020(令和2)年は最下位に終わりましたが、翌21年は日本一、22年もリーグ2連覇となりました。2年目以降はどのようなスタンスで臨んだのですか?

髙津 2年目からは、1年目の反省を踏まえて「ある程度、任せられるところは、その分野のプロフェッショナルに任せた方がいい」というスタンスに変えました。もちろん最後の責任を取るのは監督である僕だけれど、「信頼できる人に任せた上で、最後の責任はこちらが取ればいい」と考え、ある程度は人に任せることにしました。それは、今シーズンまでずっとそうでした。

――監督6年目となる来シーズンは、そのスタンスを改めるのですか?

髙津 もちろん、来年も任せるところは任せます。でも、相手に任せることで、他の人に負担がかかってしまうこともすごくたくさんある。ちょっと言葉で表現するのは難しいですけど、1年目と2年目以降の中間ぐらいの立ち位置でやろうと思っています。

――「相手に任せることで、他の人に負担がかかってしまう」というのは、例えばどういうことですか?

髙津 例えば、「ピッチャーがうまくいかない」という問題があるとします。でも、これはピッチングコーチの責任だけじゃないんです。最後の責任は監督が取るのは当然のこととしても、「ピッチングコーチにすべてを任せたから」といって、結果が伴わないときに「すべてピッチングコーチのせいだ」とは言いたくないし、言えるはずもない。なので、まずは、「こういうことやってくれ、ああいうことやってくれ」という要望を伝えます。そして、「こういうことをやったらどうだ」とか、「ちょっと考え方を変えてこうしてみたらどうだ」ということは、もう少し積極的に言いたいなと思っています。すべてをピッチングコーチに任せてしまうと、全部をピッチングコーチが背負っていかなきゃいけなくなる。それだけはやめようと。これはバッティングに関しても、もちろん同様です。

――1年目はすべてを自分でやった。2年目以降はやり方を変えた結果、リーグ2連覇を実現しました。その一方では、ここ2シーズンは不本意な成績が続いています。チームは生き物だと思います。毎年同じやり方では通用しないということでしょうか?

髙津 当然、同じことをやったからといって、同じ結果が出るわけじゃない。もちろん、いいことは続けていきたいと思うけど、僕は変化することを恐れるタイプではないので、どんどん新しいことにもトライしていきたい。その瞬間にいい答えが出て、そのときは100点かもしれないけど、それを120点にする方法もあるんじゃないか? そう考えるタイプなので、もっともっといろいろなことにトライしてみたい。ましてや、この2年はいい結果が出ていないので、やっぱり変わっていかないと、変えていかないとチームは低迷していくだけだと思います。だからこそ、何事も恐れずに、どんどん変えるところは変えていくつもりです。

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プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

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2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
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