――引退発表後、青木選手が代打で登場するたびに球場が熱狂的な歓声に包まれ、独特なムードとなります。監督は、この光景をどのように見ていますか?
髙津 あの雰囲気は本当にすごいと思います。あの光景こそ、彼が日米で21年間かけて積み重ねてきたことの集大成だと思います。ファンのみなさんが、そしてチームメイトたちがみんなでノリをリスペクトして反応している。これは彼だからこそ生み出すことのできる球場の熱気、雰囲気だと思います。
――監督自身、若き日の青木選手とはチームメイトとして、そしてスワローズ復帰後の青木選手とは「監督と選手」として接しています。まずは前者、「チームメイトとしての青木宣親」についてはどのような印象を持っていますか?
髙津 身体は決して大きくない。けれども、いわゆる「走攻守」三拍子そろっている選手です。さらに長打も打てる。そういう意味では「持っていないものがない選手」という印象を持っています。特に若い頃はそれが顕著でした。チームメイトとしては本当に頼りになる存在だし、相手チームからしたら本当な厄介な選手だったと思いますよ。
――その後、アメリカから帰国後の青木選手の印象はいかがですか?
髙津 大人になりましたね。……いや、「大人になった」という言い方よりも、「視野が広くなった」という印象ですね。野球選手というのは、まずは「自分のプレーを大事にすること」、これが大切です。でも、アメリカから戻ってきたノリは、それに加えて先輩としての立ち居振る舞いを意識するようになっていたし、試合中にも気づいたことがあれば若手選手たちに対してしっかりと指摘、指導するようになっていた。元々、面倒見のいい性格だったのかどうかは僕にはわからないけど、その点は以前とは大きく変わった点だと思います。
――監督という立場としても、「チームリーダー」としての青木選手の存在は大きかったのではないですか?
髙津 僕は極力、選手ロッカー、トレーナー室には行かないようにしています。やはりそこは選手たちの空間であるし、僕が顔を出すことで「あっ、監督が来た」という緊張感を選手たちに与えたくないからです。直接、ノリに伝えたわけではないけど、選手たちだけの空間については、彼に任せていた部分はあります。空気が緩んでいたら、何も言わなくても引き締めてくれていたし、チームリーダーとして、ベテランとして、チームの中心選手としての役割をきちんと自覚して、チーム一丸となる雰囲気作りをしてくれた。それは間違いなくノリのおかげでした。