東京ヤクルトスワローズ 髙津流マネジメント2024

混戦状態のセ・リーグも、勝ちきれない現状…
復帰の山田哲人に監督が伝えたこと

ルーキー・松本健吾のプロ初登板初完封

――セットアッパー、クローザーが不安定なチーム事情ではあったけれど、継投せずに最後まで一人で投げ切りました。全118球でしたが、「最後まで投げさせよう」という思いだったのでしょうか?

髙津 ずっと1対0が続いていた時点では「どこで代えようか?」と考えていたし、「代えようか、代えまいか」と迷っていました。ただ、8回表のカープの攻撃が三者凡退で終わったときに「いや、これはもう代えちゃいかんぞ」と覚悟を決めました。結果的には8回裏にムネ(村上宗隆)のホームランが出て2対0になったことですごくラクになりましたね。

――仮に万全のクローザーが控えていたとしたら、交代もありましたか?

髙津 1対0で投げるクローザーというのは、本当に大変なんです。松本がすごくいいピッチングをしていたので、多少疲れが見えていたとしても代えなかったかもしれないけど、もしかしたら代えていたかもしれないかな? 代えていた可能性はありますね。

――鮮烈なプロデビューを飾りました。試合後には亜細亜大学の先輩である髙津監督に「亜細亜魂で頑張った」と言っていました。「亜細亜魂」は感じられましたか?

髙津 優しそうな顔をしていて、割と図太さもあるし、肝が据わっていますね。プロとして、実力が大切なのはもちろんなんだけど、それ以外にも表情であったり、態度であったり、そういう部分も大切になってくる。実力以外にも精神面も大切になってくる。プロは同じ相手と何度も対戦を繰り返すわけだから、ここからが真価が問われる。次回登板にも期待しています。

――今春の沖縄・浦添キャンプではトヨタ自動車の先輩である古田敦也臨時コーチとのバッテリーも実現しました。オープン戦では結果を残せなかったけれど、それでも5月には一軍マウンドで初勝利を挙げた。いい流れで来ていますね。

髙津 彼は、大卒、社会人経由でのプロ入りなので「最初からバリバリ頑張ってほしい」という思いで一軍キャンプに帯同させました。オープン戦では、こちらが望んでいた結果は出なかったけど、ファームで鍛え直して、さっきも言ったように「ピッチングらしいピッチング」を勉強して一軍に戻ってきた。チームにとっても、本人にとっても大きな1勝だったと思いますね。

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プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

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髙津臣吾 /
2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
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