「1985年と現在を単純に比較することは非常に難しく、『1985年は無駄に会社にいる時間が長かったから生産性が低かった』『現在はきっちり8時間で終業できるから生産性が高い』ともいえません。例えば現在は『働き方改革』として、残業させない企業が社会的評価を得るようになり、残業代負担などを減らそうとする動きとあいまって、8時間以上はオフィスにいさせないようにすぐ帰そうとする企業もあると思います。ところが、実際には抱えている業務量は変わらず、自宅に持ち帰って作業する『見えない残業』に追い込まれる例は少なくありません。労働者に業務の進め方や時間配分を自由に決める権限を与える『裁量労働制』が広がるなかで、労働時間規制があいまいな職場が増えたことも、『見えない残業』を加速させていると言われます。
また、現在はデジタル化やグローバル化などの産業の大転換が起き、これに対応するための自己研鑽を業務時間外で行うように指示されることもあるでしょう。このように不払い労働が増えている例も少なくないのです。ですから、『1985年の正社員より現在の正社員のほうが労働時間は減っている』ともいえないと思います」(同)
また、現在は労働形態も多様化しており、正社員以外の働き方も多くなっていることで、問題は複雑化しているという。
「2017年度の内閣府の『経済白書』では、『非正社員(パートタイム労働者)一人当たりの平均でみた労働時間は低下している中で、正社員の労働時間の水準は大きく変化せず、2000年以降、労働時間は二極化している状況となっている』と記されています。長時間労働の核となる働き手の状態は相変わらず深刻で、女性を中心とするパートの増加とこれらパート労働のさらなる短時間化が見かけを引き下げていると考えられます。1985年当時と現在を比べた1人あたりの平均労働時間の減少には働き方の多様化が大きく影響しており、長時間労働問題が解決したとは言えないのです。
1990年代後半に多くの企業で大リストラが起こる時期があり、失業率引き下げ策の一環として、とりあえず職に就ける人を増やすためとして1999年に派遣法が改正されるなど、非正規労働での雇用条件が緩和されました。そして多くの企業が安い賃金に設定したフルタイム勤務ではない非正規労働者を増やし、人件費削減を行っていったのです。その結果、1人あたりの労働時間の平均値が下がった部分もあると考えられます。労働時間問題にはいくつもの錯覚が潜んでいるのです」(同)
現代では、業務に応じて企業と自由に契約を交わし働くフリーランスや、仕事を掛け持つダブルワークの増加など、労働形態の多様化によって1985年当時よりもかなり複雑になっているようだ。
「フリーランスはその最たるもので、自営扱いのため成果物ベースの賃金体系が基本で、余程の交渉力がある人でなければ安い報酬で長時間働かざるを得なくなっています。そういった実際の労働時間が見えにくくなる仕組みが次々と導入されているのです。先ほどの裁量労働制という制度の拡大もそのひとつです。ほかにも、年収1075万円以上という一定の年収要件を満たした、専門的かつ高度な職業能力を持つ労働者を対象に、労働時間にもとづいた制限を撤廃する高度プロフェッショナル制度もあります。
企業側が労務管理責任を軽くするために、労働時間を労働者自らに管理させるようになってきているともいえるでしょう。いずれにしても、このように労働時間を測らない働き方が増えているので、表面的な数字として平均労働時間が短縮されているからといって、1985年よりも生産性が上がっているということや、労働環境が改善されているということは、一概にいうことはできないのです」(同)
「労働時間減少」に錯覚の要素が多いということであれば、1985年より実質的な労働環境の改善がされているとはいいがたい。見せかけの労働時間でなく実際の労働時間を把握する試みを推進していくことや、働いた成果がきちんと賃金に反映される仕組み作りなどを、社会全体で行っていく必要があるのではないだろうか。
(取材・文=逢ヶ瀬十吾/A4studio、竹信三恵子/ジャーナリスト、和光大学名誉教授)