1954年、ホンダはマン島TTレース(オートバイのレース)出場を宣言した。宣言文にて創業者の故、本田宗一郎氏は「最高の技術を結集して最高のバイクを生み出し世界で勝とう」と全従業員に呼びかけた。1961年にマン島TTレースで初優勝を飾ると、ホンダは自動車メーカーとしての成長を目指し、四輪車ビジネスに参入する。最高の四輪車の製造技術の実現を目指してF1参加を目指したのである。1964年にF1初出場を果たし、翌年にはメキシコGPにて初優勝を収めた。1968年には低燃費エンジンの開発に集中するためF1活動は休止された。その後もホンダは航空機エンジン技術の応用、ブランドイメージ醸成などのためにF1に再参戦し、リーマンショックなど事業環境の変化によって撤退した。なお、2020年10月、前回の撤退が表明された。
2026年からF1の規制は改訂され、100%カーボンニュートラルな燃料の使用、動力に占める電動割合の向上が求められる。それはホンダの電動化技術などの優位性を世界に示すために重要だ。また、現在の業績を確認すると、徐々にではあるが一連の構造改革は収益性の向上に寄与している。2024年3月期の営業利益は1兆円(2023年3月期は8,393億円)に増加する見通しだ。収益性も上向き、F1に必要な資金を負担する余力は高まったといえる。ホンダは車載用半導体調達に関して台湾積体電路製造(TSMC)との協業を発表するなど、電動車の製造体制強化は加速している。そうした成果を世界に示すためも、ホンダはF1再参戦を表明した。
異なる目線から考えると、ホンダはエンジン製造技術の向上などに支えられた自動車メーカーとしてのビジネスモデルの創造的破壊に取り組んでいる。二輪車から四輪車、航空機へ、ホンダはパワーユニット製造技術の利用範囲を拡大した。F1再参戦によって、ホンダは陸と空で蓄積した動力装置の製造技術と、脱炭素や電動化の最先端理論の新しい結合を試みる。その先に同社が見据えるのは、地球と宇宙の両方で利用可能な移動=モビリティの実現だ。
その一つとして、ホンダは再利用可能な小型ロケットの開発に取り組み、2030年までの打ち上げを目指している。宇宙での生活や作業のための車両、パワーユニットなどの研究開発も進められている。プロジェクトのいくつかは、若手社員の提案をもとに計画が立案され、実行された。ホンダは創業間もないころのアニマルスピリットにあふれた組織の風土を醸成しようとしているようにも見える。
また、四輪車分野でホンダは、ナイジェリアに続きガーナに新工場を設け2023年度内の稼働を予定している。アフリカ諸国の社会インフラは発展途上だ。2040年の脱エンジン車を掲げるホンダは、GSユアサやLGエナジーソリューション、TSMCなどとの協働を強化し、新興国、途上国でのEV利用を支えるインフラ整備にも取り組む可能性は高い。GSユアサとの合弁契約に定置用バッテリーが含められたのは、新興・途上国、さらには宇宙での事業展開を念頭においてのことだろう。
現時点で宇宙での利用を目指したパワーユニットや、エネルギー関連技術の開発がどのような結果をもたらすかは見通しづらい。はっきりといえることは、米欧中でのEVシフトをはじめ世界の自動車産業は「100年に1度」と呼ばれるほどの変革期にあることだ。競争環境は加速度的、かつ非連続に変化している。企業が過去の成功体験に固執すると、環境変化に遅れる恐れは高まる。成長を実現するために、企業は自社の強みを生かして新しい分野に進出し、収益分野を拡大しなければならない。そうした認識のもと、今後もホンダの事業ポートフォリオの見直しは加速するだろう。世界経済の先行き不透明が高まるなか、宇宙など新しい分野に挑戦するホンダの経営方針が、多くのわが国企業に前向きな心理を与えることを期待したい。
(文=真壁昭夫/多摩大学特別招聘教授)