また、仮に自治体や漁業組合が密漁を見つけたとしても、地元住民や観光客による悪意のない犯行だった場合、なるべく事を荒立てることなく注意喚起にとどめたいという温情も働き、罰則を下すまでには至らないケースが多いようです。過去に私が聞いた話では、東京大学の研究者たちが沖縄の西表島で海洋調査に赴いた際、地元の漁師たちに密漁の実態を聞いたことがあるそうなのですが、『あんまり細かいことは言わないようにしているよ。厳しく言いすぎると観光客が来なくなっちゃうこともあるしね』と言われたそうです」(同)
では一般人による密漁がなくならない根本的な理由はなんなのか。
「漁という行為は何も漁師だけが行っているものではなく、本来は人が生きていくために自然と行っていたものです。そのため長年意図せず密漁を行っている人も多く、そういった人のなかには『自然の恵みを獲ってなぜ違反になるの?』と、自分たちの行為に疑問を持たない人も数多く存在しています。
無自覚な意識とどう向き合っていくのか、実は密漁問題の解決において大きな課題になっているのは、こうした部分なのです。無自覚な密漁者たちにとっては、『このエリアの貝や魚は獲ってはいけません』という縛りは、あくまで漁業組合や自治体が定めた人為的なものであり、ある意味『押し付けられたルール』として映っているわけです」(同)
密漁を止めるためには、厳しい罰則を設けると同時に、「なぜ獲ってはいけないのかをきちんと理解してもらうこと」にあるという。
「一般市民による密漁を止めるには、やはり密漁がもたらすデメリットを根気強く周知していくしかないのだと思います。『自分で食べる分だけならそこまで問題ないだろう』という意識で起きる小さな違法行為。これが何千件と積み重なれば大きな損失になります。例えば、獲れるまでに数年かかる稚貝や稚魚の莫大な放流費用が無駄になってしまう場面ですね。これは漁業組合員の生活を苦しめるばかりか、市場に流れる魚介類の減少にもつながり、結果的に多くの消費者が魚介類を食べられなくなる事態をもたらします。
問題は消費の場面だけではありません。漁業法というのは、環境保護も念頭に置いて決められているものなので、密漁によってそのエリアの漁獲量が著しく変動すれば、予期せぬ生態系の破壊にもつながりかねません」(同)
密漁という言葉から受ける巨悪のイメージは、我々の日常とはかけ離れたものに映りがちだ。しかし、蓋を開けると非常に身近なところに密漁の実態はあった。今一度、その違反行為がもたらす影響を考えることが我々には必要なのだろう。
(文=A4studio)