標準化マーケティングを志向すれば、市場ごとの修正を行わないため、余計な時間、金、人といったコストを最小化できる。また、同一モデルの大量生産により、規模の経済を最大化できる。しかしながら、顧客ニーズなど、各市場特性への個別対応を行わないため、顧客満足の最大化に通じず、売上が振るわないといった事態も生じ得る。一方、適応化マーケティングを志向すれば、逆のメリット・デメリットが発生するわけである。
このように標準化vs.適応化においては、通常、コストと顧客ニーズ・売上の観点から議論されることが多い。しかしながら、筆者はブランド・差別化の視点を加え、日本市場におけるデロンギの事例について検討したい。
デロンギの商品を見て、「デザインが素晴らしい」「やはり日本の商品とは違う」と感じる人は少なくないのではないだろうか。筆者は、間違いなくその1人である。この要因に関して、番組では“イタリアニティ”(イタリアの建築家や芸術家が積み上げてきたイタリアらしさを生むデザイン哲学)が紹介され、デロンギ本社スタッフは「イタリアのデザインは妥協も、何かを犠牲にすることもない」と強調していた。確かに、比較すると、日本のメーカーは機能優先でデザインはその次といった印象を受ける。デロンギをはじめ、世界の著名なメーカーにおける商品の特別さ(本物感など)は、こうした哲学から生じているのだろう。結果、高額でも購入される強いブランドになっている。これは企業が大切にすべき最も重要な資産であるといえるだろう。
しかしながら、日本市場の顧客ニーズに合わせて商品を修正するという行為は、伝統的なブランド哲学を毀損するという側面もあるのではないだろうか。短期的には利便性の向上により売上アップとなっても、長期的に捉えると企業ブランドや商品の特別さを弱める行為になってしまうのではないだろうか。最悪の場合、日本メーカーの商品と類似した、単なる高価格商品に成り下がってしまうリスクも十分に考えられる。
例えば、同じくイタリアの高級車の代表的存在であるフェラーリが「乗り降りがしにくい」「地面に擦る」といった顧客の声をもとに車高をアップさせてしまえば、それはもはやフェラーリではなく、単なる普通の自動車に成り下がってしまうだろう。
何を修正し、何を守るのか。誰の声を聴き、誰の声を無視するのか――。強いブランドを維持する要諦は、結局はこのあたりにあるのかもしれない。
(文=大﨑孝徳/神奈川大学経営学部国際経営学科教授)