90年代のヴィジュアル系バンドブーム、なぜ急速に衰退?音楽番組の功罪と意外な今

 ヴィジュアル系という言葉の明確な確立時期は不明だが、1996年10月に放送を開始した音楽番組『Break Out』(テレビ朝日系)の影響は良くも悪くも大きかったという。番組ではSHAZNA、La’cryma Christi、FANATIC CRISIS、MALICE MIZERを「ヴィジュアル系四天王」と位置づけ、大プッシュ。そのおかげでヴィジュアル系バンドの存在はお茶の間にまで浸透し、新規ファン創出の呼び水となったが、彼らと“古参”との間には大きな溝ができてしまったという。

「『ヴィジュアル系』という言葉自体に嫌悪感を示していた黎明期世代のファンは、ヴィジュアル系バンドをいちブームに乗せたようなノリの番組構成に、あまりいい印象は持っていませんでした。『Break Out』以降のファンは生まれながらにヴィジュアル系が存在していた世代なので、あらゆる面で考え方が違う。『Break Out』以前以降の世代で議論になることはよくあります」(同)

 しかし、番組をきっかけにD-SHADEやJanne Da Arcらが人気を獲得するなど、ヴィジュアル系シーンの隆盛に大きく寄与したことは間違いない。同時期には黒夢、GLAY、L’Arc~en~Cielなどのバンドがブレイクして音楽シーンを席巻。まさにヴィジュアル系黄金期ともいえる時代だったという。

冬の時代から世界の「Visual kei」へ

 ヴィジュアル系ブームは2000年代に入ると急速に終息し、冬の時代を迎える。その理由について、冬将軍氏は次のように語る。

「ブームの終息には複合的な要因がありますが、やはり商業化が進み、シーン全体がバブルのように膨れていたので、どこかで弾けることは必然でした。もともとみんな音楽が好きで、美学を追求した結果としてヴィジュアル系になっていたはずなのに、形から入るというか、ヴィジュアル系をやるために音楽を始めるという若者も少なくなかった。そうやってヴィジュアル系は次第に形骸化していき、同時に“音楽に自信がないからメイクをしているのでは?”という偏見も増えていきました。そして、ヴィジュアル系は蔑称と捉えられるようにもなっていった。そうした外からのマイナスイメージもシーンの衰退を招いたのではないかと。また、1997年のX JAPAN解散、1998年のhideの死去など、黎明期を支えた旗艦バンドやメンバーがシーンから去ったことも大きい。そして、2000年のLUNA SEA終幕がブーム終息のトドメになったんじゃないかと思います」

 この頃は、音楽関係者の間でもヴィジュアル系好きを公言するのは憚られる雰囲気があり、楽屋でこっそり話すほどだったという。そして、ヴィジュアル系ブームに取って代わった青春パンクやメロコア系バンドはTシャツや短パンというラフなファッションが象徴的で、着飾ることが美学だったヴィジュアル系とは真逆の方向性といえた。

「ただ、その後の2003年頃から、ネオ・ヴィジュアル系という新たな潮流がありました。ネオ・ヴィジュアル系はアイドル性の高いバンドと昭和レトロやエログロを喚起させるアングラ感に振り切るバンドが目立ち、前者ではアンティック-珈琲店-、彩冷える(アヤビエ)らが有名で、後者ではムック(現・MUCC)、メリー、蜉蝣が御三家と呼ばれました。ちなみに、このようなアングラなカルチャーがヴィジュアル系にも流れたのは、1998年から活動している椎名林檎の影響も大きい。彼女の文学的な日本語詞と昭和歌謡テイストは、ヴィジュアル系の耽美な世界観と親和性がありました」(同)

 その後、ヴィジュアル系バンドの楽曲がアニメ主題歌に起用されることが増え、ジャパニメーションブームと共に海外でも認知されていく。また、海外のフェスにヴィジュアル系バンドが参加したり、D’ERLANGER、LUNA SEA、X JAPANが復活するなど、シーンは再び盛り上がりを見せていったという。そして現在、厳しい冬の時代を過ごしたヴィジュアル系は、今や世界の「Visual kei」として開花している。

「特にDIR EN GREYは海外で高い人気を誇り、ヴィジュアル系というカルチャーだけでなく、日本語歌詞を世界に通用させたという点で、音楽史においても欠かせない存在です。あの独特で痛切な日本語詞が海外ライブで大合唱されています。ヴィジュアル系は音楽のジャンルではないため、あらゆるスタイルのバンドがいます。おもしろいことをやっているバンドは多いし、可能性は無限大です。ぜひ興味を持ってほしいですね」(同)

 ヴィジュアル系はこだわりも強いが、その根本にあるのは自由な表現だ。その美学は時代が過ぎても変わらず、今もさまざまなジャンルに影響を与えている。