韓国保守論陣のなかでは長らく、韓国はいま新たな選択が迫られているという議論があった。その議論とは、米国と中国のどちらを選択するのか、という現在国際社会で各国が突きつけられている課題である。地政学的に北朝鮮を挟んで中国・ロシアという大国と近い場所に位置する韓国は、近年はイデオロギーに翻弄されてきた国でもあったといえる。国家が南北に分断されることになった朝鮮戦争も、その一つの事柄であったといえよう。
北朝鮮の金日成(故人・元主席)は日米韓の連携を分断するために“カックン理論”というものを提唱していたという。“カッ”は朝鮮の知識層が被った伝統的な帽子で、“カックン”は顎紐のこと。韓国の力を奪うためには、日本、米国のどちらかを切ればいいというのがカックン理論だった。紐の一方だけを切れば韓米日の三国間のバランスを崩すことができ、韓国社会は揺らぐという理屈。文大統領はこの理論を踏襲するかたちで反日的な行動を行っていた、という評価が保守論陣のなかにはあったのだ。尹政権ではこの崩れたバランスを再構築することが、まずは第一の目標となるはずだ。
一方で日米に近づくということは、韓国にとってはリスクでもある。つまり朝鮮半島の緊張が再び高まることが予想されるからだ。実際に北朝鮮のミサイル実験が活発化しており、北朝鮮の金与正朝鮮労働党副部長が4月2日付の談話で、韓国に向け、「南朝鮮に対する多くのことを再考する。惨事を避けようとするなら自粛すべきだ」と脅しのようなコメントも発表している。この談話は、尹氏が北朝鮮のミサイルに対抗するため有事の先制攻撃能力保有を訴えていることへの牽制だとも分析されている。
戦争の危機についてはアジアでは中国による台湾侵攻の可能性が常々指摘されているが、識者のなかでは朝鮮半島が再び“火薬庫”になるのではないかという分析もある。ウクライナ・ロシア戦争でも見られるように有事は、陸続きの国同士のほうが起きやすいという側面があるからだ。軍事戦略的には海峡を越えて軍隊を投入するよりも、陸路のほうが展開しやすい。
あくまでも最悪中の最悪として予測したシナリオではあるが、北朝鮮が軍事演習を活発化させているのは紛れもない事実。もちろん外交交渉上のブラフとも見ることができるが、中国、ロシア、北朝鮮は兄弟国だという見方もあるなかで緊張感は高まりつつあるのだ。米中ロシアの不均衡なバランスのなかでは何が起きてもおかしくない情勢だけに留意は必要となろう。
もう一つの興味は文在寅大統領が退任後、訴追されるのかということだろう。尹錫悦氏は「当然、する。大統領は関与せず、(当局の)システムによってする」と語っている。
韓国では政権交代のたびに前大統領が訴追、弾劾、逮捕されてきた。全斗煥大統領は光州事件等で追及され有罪判決を受けた。盧泰愚大統領も政治資金隠匿や粛軍クーデター、光州事件の責任などで追及を受け有罪に。文大統領の盟友だった盧武鉉大統領は実兄が収賄で逮捕、自身も検察の事情聴取を受けて自殺にまで追い込まれた。記憶に新しい朴槿恵前大統領は在職中、尹氏が検事時代に捜査を受け、実刑判決を受けた。
来月の尹政権の誕生後に、韓国は外交、安全保障、内政などで激動の時代を迎えることは必至なのである。新大統領がどのような舵取りをするのか、その手腕に注目したい。
(文=赤石晋一郎/ジャーナリスト)
●赤石晋一郎/ジャーナリスト
南アフリカ・ヨハネスブルグ出身。講談社「FRIDAY」、文藝春秋「週刊文春」記者を経て、ジャーナリストとして独立。
日韓関係、人物ルポ、政治・事件など幅広い分野の記事執筆を行う。著書に「韓国人韓国を叱る 日韓歴史問題の新証言者たち」(小学館新書)、4月9日発売「完落ち 警視庁捜査一課『取調室』秘録」(文藝春秋)など。
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