日本国憲法では思想・良心の自由について規定している。つまり憲法に抵触する恐れがある「思想問題」を含めてしまったがゆえに、政府側は任命拒否の理由を明らかにできないという袋小路に入ってしまったのだ。故に対中安全保障というテーマは曖昧となってしまい、知識、技術流出への対応が後手に回ってしまったのだ。
例えば米国では対中安全保障問題についてはFBIの捜査対象となっている。捜査上、重要となったのは「思想」ではなく、「事実」だった。
ハーバード大学のチャールズ・リーバー教授は2011年に中国湖北省の武漢理工大の「戦略科学者」として契約し、この地位を通じて千人計画にも関与した。米国においても中国と関わりがあるというだけでは犯罪とならないが、教授に研究助成金1500万ドルを出していた米国立衛生研究所と米国防総省の問い合わせに対して虚偽報告を行ったことが違法と判断され、捜査対象となったのだ。リーバー教授は中国政府が進める海外高度人材招致プログラム「千人計画」への関与について虚偽報告をした罪に問われ、有罪判決が下されている。リーバー教授は、FBIの取り調べに対し、「武漢理工大と連携すれば知名度が上がると考えていた」と供述したという。
「中国への知識・技術流出問題は、今は『経済安保』という言葉で知られるようになりました。経済安保問題を捜査するにあたっては『事実』が最も重要です。何が軍事転用できる技術なのか、どのような研究が安全保障上の脅威となるのかを分析し、突き詰めていくことこそが捜査のうえでは必要となる。
現代社会においては中国と繋がる理由が“思想”だけとは限りません。今後はリーバー教授のように『利益』を理由として中国に近づこうというケースが増える可能性が高いのです。だからこそ政府は思想調査というアバウトなものを優先するのではなく、技術・知識流出の実態解明にこそ力を入れるべきだったと思います」(前出・社会部記者)
昨年の10月20日、米国・バイデン大統領が次期駐中国大使に指名したニコラス・バーンズ元国務次官(65)は上院外交委員会の指名承認公聴会に出席し、「中国は米国の安全保障に対する最大の脅威だ」と発言した。米中対立がますます深まるなか、日本国内においても対中リスクは喫緊の課題となっている。岸田文雄新政権において「経済安全保障担当大臣」が新設されたのもその証左であろう。
より現実に即した安全保障体制をいかに構築してゆくのか。学術会議任命拒否問題の失敗を、はたして日本政府は“教訓”とできるのだろうか。
(文=赤石晋一郎/ジャーナリスト)
●赤石晋一郎/ジャーナリスト
南アフリカ・ヨハネスブルグ出身。講談社「FRIDAY」、文藝春秋「週刊文春」記者を経て、ジャーナリストとして独立。
日韓関係、人物ルポ、政治・事件など幅広い分野の記事執筆を行う。著書に「韓国人韓国を叱る 日韓歴史問題の新証言者たち」(小学館新書)、4月9日発売「完落ち 警視庁捜査一課『取調室』秘録」(文藝春秋)など。
Twitter https://twitter.com/red0101a
Note https://note.com/akaishi01