岸田首相と東條英機に共通する「負けるリーダー」の条件…真面目、人の話を聞く

 一方、東條英機も「エリートコースから外れた努力の人」だった。

 陸軍のエリートコースは、陸軍大学校を卒業した者たちだが、実はそのなかでも序列がある、優秀な成績である上位数名は、天皇陛下から軍刀などの恩賜品を授与されるのだが、この「恩賜組」「軍刀組」は将来を嘱望され、「次世代の陸軍幹部」と目される。有名なところでは、石原莞爾や永田鉄山だ。

 東條は意外にも、このコースには乗っていない。「恩賜組」「軍刀組」になることができなかっただけではなく、陸大自体も2浪をしてようやく引っかかった。つまり、慕っていた先輩である永田や、後に犬猿の仲として激しい権力闘争を繰り広げる後輩の石原が若くして得た「選ばれた者」という評価を、東條は持っていなかった。この強烈なコンプレックスが、部下の話に耳を傾け、几帳面にメモる、というやや偏執的な「マジメさ」につながっているのだ。

お友だち厚遇

 ただ、そんなキャラクターの共通点以上に、岸田首相と東條の姿が重なるのは「人事」である。東條についての著作が多くある作家の保阪正康氏は、『人を見る目』(新潮社)の中で、東條と側近の関係をこのように看破している。

「昭和10年代の戦時宰相・陸軍大将の東條英機はお追従が大好きだった。自分の目をかけた人間のみ、周辺に集め、あとはどんな識見・卓見を持っていても遠ざける。なぜこんな軍人を重用したのか、と言いたくなるほどだ」

 実はこの言葉は、岸田首相にもそのまま当てはまる。金銭トラブルの疑惑が燻り続けていた甘利明氏を「総裁選で自分を応援してくれた」という理由だけで、国民の反対を押し切って党幹事長に抜擢。さらに自身よりも人気の高い河野太郎を広報本部長に据え露骨に冷遇し、高市早苗氏を政調会長という要職に付けながらも「10万円給付」などの重要な決定には関わらせない。

 一方で、官邸は松野博一官房長官、中谷元内閣総理大臣補佐官、木原誠二、村井英樹、寺田稔という「お友だち」と「宏池会」がズラリと並ぶ。さらに、国民が驚愕したのが、選挙で落選して「無職」の石原伸晃を観光立国担当の内閣参与にするという決断だ。当然、観光政策分野の実績などゼロ。東條と同じで、「お追従」が大好きとしか思えない。

 1940年時点で内閣、陸海軍の上層部では、国力の差が歴然としていたアメリカとの戦争を避けるべきという声が多かった。しかし、東條は開戦に踏み切った。研究者たちは、「日中戦争でここまで死人が出ているのに今さら中国から撤兵できるか」という陸軍内部と国民の声に東條が真摯に耳を傾けた結果だと分析している。

 実は国家を滅ぼすのは、独裁者や自分勝手なリーダーだけではなく、「周囲の話をよく聞くいい人」である。岸田首相も東條と同じ道を歩まないことを祈りたい。

(文=長谷十三)