ところが、第一勧業銀行は合併銀行の悲哀を味わっていたため、合併には慎重であった。
しかし、第一勧業銀行頭取・杉田力之(かつゆき)は「2行ならダメでも、3行なら旧行対立は生まれないだろう」と判断、富士銀行・日本興業銀行の頭取を引き合わせ、3行合併を提案した。
1999年8月に3行は、共同持株会社の設立と経営統合を発表。2000年9月に3行が持株会社・みずほホールディングスを設立して、その完全子会社となる。そして、2002年4月にみずほ銀行とみずほコーポレート銀行を設立した。
この3行を2行に統合するという不可思議な企業再編は、みずほホールディングス、みずほ銀行、みずほコーポレート銀行3社のトップを旧3行で分け合うための対等合併の弊害だと噂された。こんな不自然な体制がうまくいくはずもなく、2011年3月の大規模なシステムトラブルが発生すると、金融庁は業務改善命令を発し、再統合を示唆。
2013年にみずほ銀行とみずほコーポレート銀行が合併し、新生・みずほ銀行が誕生した。
ご存じの通り、「3行なら旧行対立は生まれないだろう」という希望的な観測は、無残にも打ち砕かれた。
富士銀行・日本興業銀行の行員は、まず合併交渉でその洗礼を受ける。合併交渉では各行の代表者が一堂に会して協議するのだが、第一勧業銀行は絶対にその場で物事を決めない。協議の場に参加した行員が旧第一銀行出身だった場合は、銀行に戻って旧日本勧業銀行出身者の合意を取り、逆の場合も同様に合意を取った。しばらくして、その実態を知った富士銀行・日本興業銀行の行員は「これでは3行合併ではなく、4行合併だ」と嘆いたという。
第一勧業銀行が合併して、すでに28年が経っていたにもかかわらず、両行は融合できていなかったのである。みずほが合併してまだ20年弱。真の融合への道は、まだまだ遠いのかもしれない。
(文=菊地浩之)
●菊地浩之(きくち・ひろゆき)
1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)、『織田家臣団の系図』(角川新書、2019年)、『日本のエリート家系 100家の系図を繋げてみました』(パブリック・ブレイン、2021年)など多数。