1969年元日、読売新聞は第一銀行と三菱銀行の合併交渉をすっぱ抜き、1月7日に第一銀行と三菱銀行は正式に合併を発表した。これより少し前に古河家と岩崎家の結婚式があり、席を並べた両行の頭取が「銀行も一緒になっちゃいましょうか」とうそぶいたことから合併交渉が始まったのだという。
第一銀行頭取・長谷川重三郎(じゅうざぶろう)は渋沢栄一の隠し子といわれ、行内ではエリート・コースを歩み、あたかもオーナー頭取のように権勢を振るった。独断で合併推進した長谷川には、行内を抑えきる絶対の自信があったようだ。
ところが、前頭取の井上薫(もちろん井上馨とは別人)は、三菱銀行との合併に異を唱え、徹底的な反対運動を展開する。
まず、古河・川崎グループなど古くからの融資先企業に根回しをして、「三菱にのみ込まれる」と外部から合併反対の声を上げさせた。次に支店長たちにも反対の声を上げさせ、さらに総会屋をも煽動して取締役に圧力をかけさせた(総会屋とは、株主総会で暴れたり、総会の議事進行を円滑に進めさせたりすることで、当該企業から資金援助を得る者で、この依頼が後に問題となる)。
1月13日、第一銀行は行内反対を抑えることができず、わずか1週間で合併を撤回。責任をとって長谷川は辞任。井上が頭取に復帰した。
巨大銀行の誕生には金融当局も含めて期待する声が大きく、それを阻止した井上に批判が集中した。しかし井上が三菱銀行との合併に反対したのは相手が悪かったためであり、合併自体に反対したわけではなかった。密かに他行との合併を模索し、日本勧業銀行と合併交渉を水面下で進めた。1971年、第一銀行は日本勧業銀行と合併し、国内最大規模の銀行、第一勧業銀行が誕生した。
井上薫が三菱銀行との合併を阻止するため、総会屋・木島力也に協力を依頼したことで、木島は第一勧業銀行に対して隠然たる影響力を持つようになった。
1997年5月、木島の弟子・小池隆一が野村証券の株式30万株を所有し、大株主という立場を利用して、不正取引を要求していたことが発覚。問題はその原資が第一勧業銀行からの迂回融資だったことだ。木島が小池へ融資を依頼、第一勧業銀行はそれを断り切れなかったのだ。
6月5日、総務担当の元常務ら4人が逮捕。6月10日に審査担当の元副頭取ら4人、6月13日にも2人が逮捕されてしまう。6月28日に元会長・宮崎邦次(くにじ)が東京地検特捜部の取り調べ後、翌29日に自宅で首を吊って自殺。7月4日に前会長・奥田正司が逮捕され、捜査は終結を迎えた。
この事件は高杉良の小説『呪縛――金融腐敗列島』のモデルに取り上げられ、映画にもなって、一躍有名となった。
1990年代中盤、バブル崩壊で大手銀行が経営不振に陥り、大量増強を図る合併が模索された。
富士銀行(旧・安田銀行)は、系列の安田信託銀行(現・みずほ信託)の経営危機を単独で救済できないと、第一勧業銀行に救援を要請。この安田信託銀行救済策を通じて、富士銀行は第一勧業銀行に本体同士の合併を申し入れた。同時期に日本興業銀行も第一勧業銀行に合併を申し入れていた。
なぜ第一勧業銀行がこんなにモテモテだったかというと、利益提供事件で上層部が軒並み逮捕され、口うるさいOBが一掃されてしまっていたからだ。相手にとっては御しやすいとみられたのだろう。