財界の菅首相離れが取り沙汰され始めているなか、レームダックの感が強い2人がたびたび会うのは、それなりの理由がある。菅氏から見れば十倉氏なら組みやすい。「何を言っても言うことを聞く」と判断したからにほかならない。榊原定征・第13代経団連会長は“安倍(晋三前首相)さんのポチ”と揶揄された。十倉氏は“菅さんの忠犬”になり下がったのだろうか。
そもそも柵山氏の経団連副会長起用には強い違和感があった。三菱電機は2014~19年に過労やパワハラによる自殺などで社員6人が労災認定を受けた。ゴム製造子会社トーカンでの検査データ捏造の発覚(18年)、サイバー攻撃により新型ミサイルの性能など防衛関連情報が漏洩した可能性の浮上(19~20年)、欧州(EU)規制に適合しない車載用オーディオ部品の出荷(20年)など、トラブルが続出していた。ガバナンスの欠如が再三指摘される始末だった。
柵山氏は14~18年に社長の座にあり、相次いだ労災問題についてはトップとして責任を負う立場にあった。だが、三菱電機は情報開示に消極的で、柵山氏自身が正面切って、この問題に取り組む姿勢を見せることもなかった。
柵山氏の前任の社長、会長を歴任した山西健一郎氏が17~21年に経団連副会長を務めており、柵山氏は三菱電機枠を引き継いで副会長になった経緯がある。人選の過程で不祥事続きの三菱電機は厳しいチェックの対象になったはずだが、経団連の事務方が三菱電機の副会長の“世襲”を容認した図式が見えてくる。
経団連の副会長のポストは企業なら取締役会のボードメンバーにあたる、重要なポストのはずだ。それなのに、三菱電機の副会長の“世襲”は深い議論がなされることもなく決まった。中西前会長の名代として権力をふるった久保田政一事務総長はその功績が認められ、中西氏の最後の人事で6月1日付で経団連副会長に昇格した。
経団連の会長は、かつては政界に物申す立場から財界総理と呼ばれた。十倉氏は、どのような決意をして、経団連会長の椅子に座ったのであろうか。
(文=編集部)