米国金融界で大きな影響力を持つ投資家で、慈善事業家でもあるジョージ・ソロス氏(91)は中国の最高指導者、習近平国家主席が「思想やビジネスの分野で規制を強めている」などとして、中国の電子商取引最大手アリババ・グループ・ホールディングスやテンセント・ホールディングスなどのビジネスに介入していることについて「『金の卵を産むガチョウ』を殺して、鄧小平氏の政治的遺産を放棄している」と強く批判している。
アリババは、子会社のアント・グループ(螞蟻集団)が昨年11月3日、香港と上海での上場を習政権にストップされて以降、政権と水面下で対立。今年4月10日には、182億2800万元(約3100億円)もの行政処罰を受けるなど、事業が低迷していると伝えられる。
ソロス氏はこれまでも習氏の経済政策を手厳しく批判してきたが、中国の「改革・開放政策の祖」である鄧氏を引き合いに出して、習氏が鄧氏の政策を否定していると断定するのは初めて。中国内でも習氏の経済政策について、一定の影響が出てくる可能性がある。
ソロス氏はユダヤ系アメリカ人で、現在はソロス・ファンド・マネジメントとオープン・ソサエティー財団の会長を務めている。1997年のアジア通貨危機で大きな利益を上げた。しかし、同マネジメントは2010年10月、中国を中心としたアジア向け投資に向けた初のアジア拠点を香港に開設したが、中国政府ににらまれて、大きな損害を被ったといわれる。それ以来、中国の強権的な政治・経済手法に強く反発して、習氏ら最高指導部を激しく批判している。
今回の習批判は14日付の米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)に掲載されたもので、ソロス氏は中国の最近の経済政策やそれに違反した企業への罰則などについて、習指導部は鄧氏の大胆な改革の恩恵を受けている一方で、鄧氏の中国における影響力を「消し去っている」と指摘している。
ソロス氏は「鄧氏は1970年代から90年代にかけて、中国よりも西洋社会のほうがはるかに発展しており、中国は西洋から学ぶべきことが多い」との考えを持っており、西洋が支配する世界システムのなかで中国が台頭することを望んでいたとして、「彼のアプローチは驚異的にうまくいった」と評価している。
しかし、習氏について、ソロス氏は「富の創造者を弾圧する」組織的なキャンペーンを行っていると主張。中国共産党政権が鶏肉加工やペットフード生産などの分野で約9000人の従業員を抱える「河北大午農牧集団」の創業者で、習指導部の政策に批判的な発言をしてきた孫大午氏を逮捕。今月17日、河北省の裁判所が孫氏を「群衆を集めて国家機関の襲撃」「公共サービス妨害」「トラブル誘発」「生産・業務妨害」「強制取引」「違法採掘」「農地の不法占拠」「公的預金の横領」などの罪状で、懲役18年の刑に処したことについて、ソロス氏は「『金の卵を産むガチョウ』を絞め殺す行為」と激しく批判した。
孫氏は2019年に起きたアフリカ豚熱の流行をめぐり、「政府が流行の規模を隠そうとしている」と公然と批判した中国で数少ない人物のひとりだった。この流行では最終的に、中国国内の豚1億頭以上が殺処分となった。また、孫氏が政府所有の農場と土地をめぐる争いになっていたとの報道もある。
人権団体の「中国人権擁護団体(CHRD)」は14日の声明で、孫氏が裁判にかけられたことについて、「人権への支持を理由に孫氏を処罰しようとするあからさまな試み」と指摘している。中国共産党は昨年9月の一連の指針で、民間企業は「党の言葉によく耳を傾ける」「政治的に賢明な人間」が必要だとしており、このところ、アリババやテンセントなどのIT関連企業に対する統制が強まっている。
このようななか、ソフトバンクグループ(SBG)は中国のハイテク業界に対する取り締まりの動向を注視し、当面は新規投資を控える方針を示しており、WSJは「中国政府によるハイテク部門の締め付けが投資業界に影響を及ぼしていることを示す最新の事例」と報じている。
(取材・文=相馬勝/ジャーナリスト)
●相馬勝/ジャーナリスト
1956年、青森県生まれ。東京外国語大学中国学科卒業。産経新聞外信部記者、次長、香港支局長、米ジョージワシントン大学東アジア研究所でフルブライト研究員、米ハーバード大学でニーマン特別ジャーナリズム研究員を経て、2010年6月末で産経新聞社を退社し現在ジャーナリスト。著書は「中国共産党に消された人々」(小学館刊=小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞作品)、「中国軍300万人次の戦争」(講談社)、「ハーバード大学で日本はこう教えられている」(新潮社刊)、「習近平の『反日計画』―中国『機密文書』に記された危険な野望」(小学館刊)など多数。