『青天を衝け』渋沢栄一の“同僚”一橋徳川家臣団の全貌…徳川慶喜に仕えた有能な男たち

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NHK大河ドラマ『青天を衝け』で、渋沢栄一と渋沢喜作が一橋徳川家家臣となった。幕末は、有能な人材を登用していこうとする時代だったのだろうか。(画像は同番組公式サイトより)

渋沢栄一が農民から一橋徳川家家臣となれた、幕末という時代

 NHK大河ドラマ『青天を衝け』で、渋沢栄一(演:吉沢亮)と渋沢喜作(演:高良健吾)が一橋徳川家家臣となった。つまり、武士身分を得たわけだ。江戸時代は身分制度と世襲が厳格な時代だと思っていたのだが、そんなに簡単に農民が武士になれたのか。そもそも一橋家の家臣はどのような構成だったのだろうか。

『青天を衝け』で今までに出てきた一橋家家臣を列挙しておこう。
・中根長十郎(演:長谷川公彦)
・平岡円四郎(演:堤 真一)
・川村恵十郎(演:波岡一喜)
・原 市之進(演:尾上寛之)
・猪飼勝三郎(演:遠山俊也)
・黒川嘉兵衛(演:みのすけ)

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『青天を衝け』に登場する一橋家の面々。渋沢栄一のように武士身分ではなかったり、幕臣に連なる家系でない者も。徳川慶喜に仕えた男たちはどのような人物だったのか。(画像は同番組公式サイトより)

一橋家は大名ではなく将軍家の一門…ゆえに家臣は将軍家直参旗本の出向組がメインなのだが

 そもそもの話だが、一橋家は大名ではなく、将軍家の一門という扱いである。例えていうなら、水戸徳川カンパニーは、徳川将軍家ホールディングスの子会社で別法人だが、一橋支店は徳川将軍家の組織の一部という位置付けだ。

 だから、一橋家家臣は、将軍家直参旗本の出向組がメインである。

 平岡円四郎が川路聖謨(かわじ・としあきら/演:平田満)にスカウトされて一橋家家臣になり、安政の大獄で甲府勤番に飛ばされ、のちに復帰した。いわば、一橋支店から甲府支店に左遷されたようなもので、一橋家家臣といっても、幕府人事の一環に過ぎないことを示している。

 ただし、平岡円四郎の家系は先祖代々旗本というわけではない。養父の平岡文次郎はもともと代官職で、そこから旗本に取り立てられたらしい。実父は岡本近江守正成(おかもと・おうみのかみ・まさなり/成ともいう)という。岡本家は平岡円四郎の祖父・岡本荘蔵政苗(おかもと・しょうぞう・まさみつ)が勘定方に取り立てられて旗本に列し、父・正成は勘定奉行勝手方、槍奉行を歴任し、500石に加増された。つまり、養家も実家も財務官僚として有能だったから旗本に取り立てられたのだろう(そもそも、円四郎をスカウトした川路聖謨が、九州の代官職の子なのだから、幕末には在野の人材を登用せざるを得なくなっていたのだろう)。

 黒川嘉兵衛も新規お抱えの旗本で、中間(ちゅうげん。武士に奉公する非武士身分の者)の小林藤兵衛の子に生まれ、目付支配役の黒川久次郎の養子になった。今風にいえば、有能なノンキャリア官僚として、浦賀奉行、下田奉行等の下で働き、一橋家に配属されたのだ。

 当時の武鑑(ぶかん。幕府の役員録)に黒川嘉兵衛が掲載されているが、父親の名前が黒塗りされている。武鑑は民間業者が発行しているので、世襲の旗本でなければ、父親の名前がわからないので、そういった措置になっているのだ。

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当時の武鑑より、「一橋中納言慶喜卿様」の「御附衆」の部分。
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江戸幕府第15代征夷大将軍・徳川慶喜。10歳のときに一橋家を相続し、30歳で徳川本家に。結果として最後の将軍となった。写真は1866(慶応2)年頃に撮影されたという慶喜(Wikipediaより)。

徳川家臣団の旗本から一橋家に“出向”し、その“二世”もそのまま一橋家の家臣に

 平岡円四郎が新参の幕臣だったのに対し、三河譜代といって徳川家康の父祖の代から仕えていたのが中根長十郎だ。中根家は旗本270石の家柄だが、長十郎はその分家筋にあたり、自身が270石を領していたわけではない。長十郎の父・中根長十郎正岟(まさたか)が一橋家2代目の徳川治済(はるさだ)に仕えたので、一橋家家臣の二世といったところだろうか。