志村けんをスターにした『8時だョ!全員集合』の本当のスゴさ…熾烈な視聴率戦争の裏側

 両番組は、今でも『土8戦争』として語り継がれる熾烈な視聴率争いを繰り広げました。しかし、『全員集合』が85年9月28日に803回をもって16年間の歴史に幕を閉じたとき、実は同時に『ひょうきん族』は自分たちの存在意義を見いだせなくなってしまったといいます。これまでゲリラで戦っていた小兵が、天下を取ってしまったからです」(同)

 ちなみに、『全員集合』のすべての放送リストを見返すと、サブタイトルには「ドリフの国語算数理科社会」「いかりや一家は今日も大混乱」といったように「ドリフ」もしくは「いかりや」の名がついていたが、最後の85年には2回「志村」がついている(5月18日「ドリフのヤクザ!志村の弔い合戦!?」、9月14日「志村の殿様!TVゲームに大興奮!?」)。すでに“志村のドリフ”になっていたことを示す、象徴的な出来事だろう。

『ひょうきん族』が『全員集合』をマネた日

 仮想敵がいなくなった『ひょうきん族』は視聴率の悪化に伴い、公開収録に挑むようになる。あれだけ排除していた「つくり込まれた笑い」をしようとしていたのだ。

「88年8月の放送300回を記念した2度目の公開収録は杉並公会堂で行われたのですが、実に思い切った企画でした。タイトルは『ひょうきん族だョ!全員集合』。オープニングとエンディングは、セットや音楽、そしてメンバーが着る衣装(ハッピ)、カメラ割り、テロップのフォントなど、すべてにおいて『全員集合』をマネて見せたのです」(同)

 ドリフの5人に扮したのは、島崎俊郎(いかりや長介)、ビートたけし、明石家さんま、島田紳助、山田邦子。

 教室コントでは、さんまがいかりやよろしくメガホンを手にして「オッス!」と観客に呼びかけ、生徒役の芸人たちとボケ合戦を展開。最後は「ビバノン音頭」の替え歌で締めくくっている。

「それ以後も、公開収録は何度か行われたそうです。ちなみにこの後、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』に追いやられ、『ひょうきん族』も89年10月14日に8年の歴史に終止符を打ちます。最終回の打ち上げパーティーでは、ビンゴゲームの景品として『ごきげんテレビ』から“テレビ”が進呈されたといいます。裏番組としてしのぎを削りながらも、相手への敬意を忘れない精神が息づいていたのでしょう」(同)

 今のテレビは“何曜日の何時”という概念で見ることがあまりなくなった。それを思うと、『8時だョ!全員集合』とは、何とストレートで美しいタイトルだろうか。

 そして、YouTube全盛の今、テレビがテレビとして機能していた最後の時代の喜劇人、志村けんが亡くなったことは、芸能界においても、またメディアの転換点としても、象徴的な出来事だったように思う。

(文=編集部)