政府が全面支援し、三菱重工業が1兆円以上の巨費を投じた国産初のジェット旅客機の開発は、一機も納入することなく“凍結”となった。
三菱スペースジェット(MSJ、旧MRJ)の開発に着手したのは2008年。経済産業省が音頭を取り、官民で「日の丸ジェット」を実現しょうという理想に燃えていた。経産省は500億円の補助金を出した。20年10月末、泉澤清次社長はオンライン会見で「開発活動はいったん立ち止まる」と語り、事業化に向けた試験飛行や量産を当面凍結すると表明した。6度もの延期で21年度以降としていた納期についても「納入延期は設定しない」とした。国産初の国産ジェット旅客機は幻で終わる可能性が現実味を帯びてきた。
三菱重工は米ボーイングなどに航空機部品を供給しているが、自力で航空機全体を設計・製造するノウハウはなかった。100万点にも及ぶ部品の調達や工程管理は、部品メーカーの発想では限界があった。自動車(完成車)の部品はおよそ3万点である。
当初、13年の納入開始を計画していた。その後、製造工程の見直しや電気配線の設計の変更などにより、6度にわたり延期を繰り返した。開発当初は自前主義にこだわったが、方針を転換。着手から10年が経過した2018年、カナダの航空機大手などから外国人技術者の“助っ人”を多数、集めた。しかし、「プライドの高い三菱重工側の技術者とそりがあわず、現場では対立が続き、開発はさらに遅れた」(航空業界担当のアナリスト)。
現在も商業運航に必要な「型式証明」を取得できていない。08年当初、1500億円としていた開発費は1兆円規模に膨れ上がった。
事業主体の三菱航空機(非上場)は18年12月、三菱重工から総額2200億円の金融支援を受け、19年3月期に債務超過を解消した。しかし、1年後の20年3月期には再び4646億円の債務超過に陥った。
三菱重工はMSJを成長事業と位置付け、火力発電設備などで稼いだ資金をつぎ込んできた。債務超過を解消するには増資などの金融支援が必要だが、下手するとエンドレスに資金を注ぎ込むことになりかねない。三菱重工本体の屋台骨を揺るがすことになる。「凍結という名の撤退は当然の帰結。むしろ遅すぎた」(前出のアナリスト)。
20年3月末時点のMSJの受注は287機。このうち確定している受注は163機だけだ。全日本空輸を傘下に持つANAホールディングスがローンチカスタマー(開発支援者)として確定発注15機とオプション(仮発注)10機の最大25機を発注済みである。
ANAに初号機が引き渡される予定になっており、日本航空は32機を確定発注している。航空機産業は裾野が広い。調達する部品の3割が国産になる予定だった。経産省には部品産業を育て、製造業の基盤を強化する狙いもあっただけに、開発が遅れた影響は大きい。MSJの量産が実現すれば、名古屋地区の航空機産業は1000億円規模で潤うとの試算もあったが、その期待は、急激にしぼんでしまった。
「“日の丸航空機”にしないでボーイングの技術を借りて協業にしたほうが、よかったのではないのか。三菱重工と経産省は自信を持ちすぎた」との悲痛な声が漏れてくる。政府には開発を強く後押しした責任がある。支援を続けるのか、打ち切るのか。模範解答のない難問題だが、菅義偉政権の力量が試されることになる。
MSJの開発主体である三菱航空機は21年度から従業員を9割以上削減する。2000人規模から200人以下に減らす。余剰人員は原則として、三菱重工のグループ内に配置転換する。北米に3カ所ある開発拠点は、米ワシントン州モーゼスレイクは残し、残る2カ所を閉鎖する。「型式証明」の取得に必要な作業は継続するが、人員は最小限に抑える。