そこに目を付けて、銀座の商店主を集めて企業買収を試みた者がいた。その男は藤綱久二郎(ふじつな・きゅうじろう)という。藤綱はなんと、丸の内一帯の不動産を所有する三菱の会社を乗っ取ろうとしたのだ。
現在、丸の内一帯の不動産は三菱地所が所有しているが、終戦直後は陽和不動産、開東(かいとう)不動産という耳慣れない会社が持っていた。どういうことかというと、戦前、丸の内一帯の土地は、三菱本社という三菱財閥の持株会社が所有していた。ところが、戦後の財閥解体で三菱本社は解散させられる。そこで三菱グループは、不動産会社を新設して、所有する不動産をその会社に移転した。ところが当時は規制が厳しく、新設する会社の資本金はかなり低めの上限が決められていた。そこで三菱グループは、やむなく新設会社を2社に分割して不動産を現物供与した。それが、陽和不動産、開東不動産というわけである(この社名は、三菱財閥の主・岩崎家別荘の名前から付けられた)。
資本金が少なく、莫大な含み益を持つ不動産を所有している会社。乗っ取り屋から見れば、こんなおいしい物件はない。1952年、藤綱は銀座の商店主を動員して、35%もの株式を買い占めた。
藤綱はもともと証券取引所の警備員をやっていた男で、不動産経営に興味があるわけではない。目的は転売に違いない。三菱グループは慌てに慌て、長老たちが対策に乗り出し、三菱銀行が三菱グループ各社に融資して、そのカネで藤綱の持つ株式を高値で買い取った。その後、三菱地所に陽和不動産、開東不動産を吸収合併させて、三菱地所は「丸の内の大家サン」と呼ばれるようになったのである。
一方、高値で買い戻しを狙った乗っ取り屋も少なくなかった。
悲劇なのは、そんな乗っ取り屋の企業買収が成功してしまった場合である。
1951年、大阪製鎖(せいさ)製造という上場企業が株式買い占めに遭い、買い占めが成功してしまったのだ。
乗っ取りグループは早速経営陣を追い出して、自らが社長以下、専務、常務のイスに座ったのだが、そんな連中にメーカーを経営していく能力なんてあるわけがない(ないから、乗っ取り屋をやってるんだ)。大阪製鎖製造はたちまち経営不振に陥り、工場を他メーカーに売却して売り上げを計上。当然そんな会社は金融機関や取引先から見放され、3年後には不渡り手形を出して銀行主導で再建が進められ、結局、1956年に神戸製鋼所に事実上売却された。
最近はそうでもないかもしれないが、日本で「会社」といえば人生そのものであり、だから会社を売り買いするTOBは嫌悪された。しかし、そんな風土のないアメリカでは、会社もまた売買の対象となる商品のひとつである。だから、TOBもダイナミックだ。
ジャンクボンドという滅茶苦茶な手法がある。
現在、日本のメガバンクの普通預金の金利は0.001%である。たとえば、1000億円でXX株式会社を買収すると考えて、その資金調達のために金利10%の債券を発行する。そりゃあ、申込が殺到するよね。でも、1000億円まで集まるかどうかはわからない。運良く1000億円集まったら、そのカネでXX社を買収して資産をすべて売却する。売値が1100億円以上だったら利益が出る。でも、1000億円集まらなかったら買収は失敗。「売り上げが立たないのでパーです」でお終いである。その瞬間、その債券は単なる紙切れとなる。高い金利はハイリスク、ハイリターンだから。まさにジャンクボンド(クズ債)である。
このTOB手法は、買収した企業の事業継続を前提としていないところが特徴である。そんな手法は日本の文化にはなじまない。だから実現しないだろう――とは言い切れないところが、現代ニッポンのコワいところだ。
(文=菊地浩之)
●菊地浩之(きくち・ひろゆき)
1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)、『織田家臣団の系図』(角川新書、2019年)など多数。