ここで、人口減少を食い止めようと、出生率を上げると、どのようなことが起こるだろうか。
出生率を上げると、今後、しばらくの間、高齢者の増加に加えて、子どもの数も増加することになる。一方で現役世代の人数は変わらないので、人口ピラミッドは、真ん中(子育てをする世代)が異様にくぼんだ形とならざるを得ない。ただでさえ、今の現役世代は増え続ける老人を少人数で支え、生活はギリギリの状態に追い込まれている。
ここで子どもを一気に増やしてしまうと、高齢者に加え、増加する子どもの生活も支えなければならず、彼らには想像を絶する過度な負担がかかってしまう。
日本経済は急激に貧困化が進んでおり、相対的貧困率は15.7%と、世界有数の弱肉強食国家である米国に匹敵する水準である。ここまで経済が疲弊した状態で、現役世代が高齢者と子どもの両方を扶養するのは不可能に近い。
一部の論者は、今の若者が「草食系になってしまった」とか「女性が子どもを産みたがらない」など勝手なことを言っているが、そうではない。あまにも経済状況が厳しく、子どもを作りたくても作れないのが現実である。
その証拠に、東京都では、住民の所得が高い港区の出生率は上がっており、所得が低い区の出生率は著しく低下する傾向が顕著となっている。人口動態の変化がもたらす経済的な負荷を考えた場合、高齢者の比率が低下し、現役世代の負担が低下するタイミングにならない限り、いくら少子化対策を実施したところで子どもは増えないと考えたほうがよい。
単純に「出生率を上げろ!」という意見が机上の空論にすぎないといったのは、こうした理由からである。
では、こうした現実を目の前にして、日本はどうすべきなのだろうか。選択肢は2つあると筆者は考えている。ひとつは、子育て世代に強力な財政支援を行い、あえて子どもを作ってもらう方法。もうひとつは人口が減少することを前提に高い成長を目指すという方法である。
前者を選択する場合、かなりの財政支出が必要となる。本当に出生率を上昇させるためには、子どもを作った世代に対して、子ども1人あたり年間200万円程度の金額を20年間提供するくらいの覚悟が必要となるだろう。逆に言えば、ここまで手厚い支援を行うという国民的な合意が得られない限り、出生率は上げられないと思ったほうがよい。
筆者は人口減少問題は深刻と考えているので、この制度を実現するために、税負担が増えてもやむを得ないと思っているが、子育て支援策に対する世間の冷たい反応を見ると、このプランが国民的合意を得られるのかは甚だ疑問である。
一方、イノベーションを活発にし、日本の生産性を大幅に高めることができれば、人口が減っても持続的な経済成長を実現できる。
日本の労働生産性(時間あたり)は46.8ドルと主要先進国では断トツの最下位となっている。1位の米国は74.7ドル、2位のドイツは72.9ドルなので、日本の生産性は米国やドイツの6割しかない。単に数字の羅列として見ると大したことがないよう思えるかもしれないが、経済の理屈を知っている人からすると、この差は驚くべき水準である。
同じような生活水準を実現している(はずの)先進国の中で、ある国の生産性が6割しかないというのは、一種の異常事態である。生産性の差は、そのままGDP(国内総生産)の水準の違いとなって顕在化してくる。あえて厳しい言い方をすれば、日本はすでに先進国ではなく、基礎的な経済力において、すでに圧倒的な格差が生じていると考えるべきだろう。
こうした状況に人口減少というマイナス要因が加わっているので、ここから生産性を他国並みに引き上げるのは至難の業といってよい。
日本はハンコひとつとってもITツールに置き換えることに難儀している状況である。デジタル化や規制緩和、雇用制度の見直しやコーポレートガバナンス改革など、変革が必要とされている項目を総動員して、徹底的に経済の仕組みを変えない限り、出生率を上げずに経済成長を実現することは難しい。
つまり出生率を上げることも、今のままで成長を実現することも、相当な努力と苦しみを伴う。どちらも選択できなければ、日本は人口減少に伴い、想像を超えるペースで経済が縮小し、社会の貧困化がさらに進むだろう。どの道を選択するのかは最終的には日本人自身が決めなければならない。
(文=加谷珪一/経済評論家)