稲葉が次に目をつけたのが、産業用ロボットだった。今では世界4大メーカーの一角を占める。コーポレートカラーである黄色のロボットは自動車工場の生産ラインでおなじみの風景となった。
収益を高めることに、徹底的にこだわった。84年に東京都日野市から富士山の山麓、山梨県忍野村に本拠を移し技術開発に専念。生産体制の集約化とFA化で圧倒的な競争力と収益率を手に入れ、日本で有数の高収益会社に育て上げた。
設立当初は富士通の100%子会社だったが、富士通の出資比率を徐々に減らし、82年に社名から富士通を外し、ファナックとなった。富士通のくびきから抜け出たファナックは、稲葉の“ワンマンカンパニー”となった。
稲葉は95年に社長を退いた。引退したわけではない。会長、名誉会長と肩書は変わったが、キングメーカーとして、ファナックの絶対君主であり続けた。脱・富士通を進めた稲葉は、「稲葉王国」の跡取りに息子を据えることにした。実質的な創業者とはいえ、稲葉はオーナー経営者ではない。一介のサラリーマン経営者だが、トップ人事は、彼の鶴の一声で決まってきた。
2003年、社長経験者の野澤量一郎と小山成昭を追い払い、長男の稲葉善治を社長に擁立した。「息子かわいさの世襲人事」と週刊誌で叩かれた。相談役名誉会長を名乗りつつ絶対君主を続ける稲葉は、13年、長男以外の役員を降格させる「懲罰人事」を断行。35歳の孫、稲葉清典(善治の長男)を取締役に就け、世襲路線を明確にした。しかし、子飼いの役員陣の謀反が起こり、稲葉はファナックの全役職を電撃解任された。
稲葉清右衛門ほどの経営者が、晩年、あれほどまでに世襲にこだわったのは血のなせるわざなのか。カリスマ経営者は引き際を誤った。
「狭い路(みち)を真っすぐに進む」のが稲葉流。「ロボットがロボットを作る」と評されるような工場の自動化を極め、製品の部品点数はとことん減らした。こうした地道な努力の積み重ねが、ファナックを世界水準の高収益企業に変えた。
現在、ファナックは米中貿易戦争のただなかにある。コロナ禍の影響も避けられない。ファナックは22年に創業50周年を迎える。稲葉善治は代表取締役会長。稲葉清典は取締役専務執行役員・ロボット事業本部長である。息子と孫に、“創業者” 稲葉清右衛門の物づくりの理念を受け継ぐ、心の余裕はあるのだろうか。
(文=有森隆/ジャーナリスト、敬称略)