「名人位を1年間、預からせていただきます」。この言葉は1983年6月、当時の加藤一二三名人から史上最年少で名人位を奪った際に谷川浩司九段(58・当時は八段)が取材に答えた時の名言だ。神戸市出身の礼儀正しい21歳のニュースターの聡明かつ謙虚な言葉は、将棋関係者や取材者はもとより、国民を感動させた。「光速の寄せ」を武器とした谷川がその後、タイトル通算49期、四冠王、永世(十七世)名人資格など、戦後の将棋史に残る大棋士となったことは周知だが、生真面目で謙虚な人格はその頃から変わっていない。
その谷川が9月9日、関西将棋会館で40歳年下の藤井聡太二冠(18)と対戦した。双方が今季属する名人戦順位戦B2クラスのリーグ戦だ。夜10時40分頃までかかった大熱戦の末に勝利した藤井は4連勝。谷川は1勝3敗と星を悪くした。谷川の対藤井戦は2敗である。
この対局、勝負以外に谷川の人柄を示すエピソードがあった。対局開始は10時。谷川は9時39分に対局室に現れた。数分後に藤井が現れたが、谷川はすでに下座に座っていたので藤井は上座に座った。上座の床の間には昭和の大棋士、木村義雄、大山康晴、中原誠とともに自分が書いた4人の永世名人(現在は引退後に名乗る)の国宝級の掛け軸も下がっているのだ。
上座、下座というのは将棋界でも重要な要素である。基本的に入り口から遠い側や、床の間のある側が上座だ。上座に座るのは名人や竜王保持者、その他のタイトル保持者、双方保持者ならタイトルが多い方、双方タイトルがなければ段位が上位の者、段位も同じなら先にその段位を取ったほう――など、さまざまな決め事はある。
とはいえ、若手は相手が大棋士だったりすれば上座を遠慮することもある。昨年6月の王位戦挑戦者決定リーグでは、無冠になっていた羽生善治九段が、先に来て下座に座っていた永瀬拓矢叡王に「上座へ」「どうぞ、どうぞ」と促した光景は印象的だった。永瀬は仕方なく上座に座った。過去の栄光がどうあれ、対局時点でタイトルを持っているほうが上座になる。谷川は現在、無冠に甘んじているため、今回は藤井が上座になる。
谷川の著書『集中力』(KADOKAWA)によれば、1984年のある対局で上座、下座をめぐって、忘れられない経験があったという。相手は加藤一二三。名人だった谷川が到着すると、すでに加藤は上座に座っていた。数々の栄光に輝く40代の加藤だが、この時は名人の谷川が上座のはず。でかい体でデーンと座っていた加藤は交代する様子もない。さすがに謙虚な谷川も「名人の権威を傷つけられた」「自分の座る場所がない」と怒りを感じた。とはいえ、大先輩相手に「席を交代してください」とも言えない。悶々とした気持ちをトイレに行って手を洗うなどして落ち着けようとした。冷静になるために初手(先手だった)に10分以上かけた。結果は谷川が勝利した。
こうした経験からも今回、谷川は「藤井二冠がそんな思いをしたり、先に来て遠慮して下座に座らせてはならない」と、藤井より早く到着して下座に座っていたはずだ。
2014年春、谷川が長年君臨したA級からB1級に降級した時、筆者は「サンデー毎日」誌上で谷川にロングインタビューをした。谷川は気分がいいはずもなかったが、知人でもない筆者の取材に快く応じてくれ、正直、驚いてしまった。谷川に気兼ねしてそんな申し出を控えていたであろう観戦記者たちも、記事を見て驚いたかもしれない。「無知のなせる業」ではあったが、今も感謝している。
インタビューでは「中原誠さんから奪取しようと対策を取っていたら、名人が加藤さんになって驚いた」「阪神大震災直後、羽生さんに勝って七冠を阻止し、少しでも被災者を励ませたかな」「七冠を許してしまい、カメラマンたちが私の後ろから羽生さんを撮りまくって悔しかった」などの思い出を丁寧に話してくれた。