怒る東京三菱銀行、翻弄される日興証券…半沢直樹もびっくり?銀行と証券会社の危険な関係

「四大証券」のひとつ、日興証券は、1998年5月に米トラベラーズ・グループ(のちに米シティグループに合併。以下、米シティグループ)との資本提携に踏み込んだ。

 この業務提携発表を聞いて、東京三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)首脳が激怒する。

 東京三菱銀行としては、証券会社と手を結ぶなら日興証券だと考え、日興証券もその気を見せていたらしい。ところが、諸説あって真相は五里霧中なのだが、どうやら多少の行き違いがあったらしく、日興証券は米シティグループとの業務提携になびいてしまったのだ。

 東京三菱銀行は、日興証券の業務提携発表から10日もたたないうちに、事実上傘下におさめていた菱光証券と大七証券を合併させて東京三菱パーソナル証券を設立し、これに証券子会社の東京三菱証券(旧・三菱ダイヤモンド証券)も合同させると発表。独自に三菱グループの証券会社を育成する意思を表明した。さらに当時、もっとも優良な中堅証券と名高かった国際証券を買収し、2002年に傘下の証券会社(東京三菱証券、東京三菱パーソナル証券、一成証券)を合併させて、三菱証券を設立する。

 日興証券の顧客には三菱グループ企業が名を連ねていたから、米シティグループもそれをアテにしていたのに、提携して早々に反目を買ってしまったのだから、困惑することこの上ない。

 一方、三菱証券はその後モルガン・スタンレー証券を吸収合併し、三菱UFJモルガン・スタンレー証券となって、いまでは「五大証券」の一角と呼ばれるほどの地位を占めるまで育っていったのだから、日興証券からすれば目も当てられない。

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三菱UFJ銀行系の証券会社の再編図。最終的に三菱UFJモルガン・スタンレー証券に至る流れ。(濃緑に白ヌキ文字は、銀行の証券子会社)

 同じく「四大証券」のひとつ、大和証券は、1999年12月に住友銀行(現・三井住友銀行)との提携を選んだ。

 大和証券はリテール分野(大和証券)とホールセール分野(大和証券SBキャピタル・マーケッツ[略称・大和証券SBCM、のち大和証券SMBCに改称。SMBCは三井住友銀行の略称])をそれぞれ子会社として分離し、自らは大和証券グループ本社と改称して持株会社になった。さらに、大和証券SMBCに住友銀行から40パーセントの出資を受け入れ、合弁会社とした。

 もともと住友銀行は証券部門への進出に積極的な都市銀行として知られ、この業務提携を機に大和証券SMBCに行員を出向させ、証券戦略を積極化していった。

 一方、大和証券は住友銀行に主導権を渡さないように抵抗し続けたようだ。このことが住友銀行からの不満を招き、さらなる証券業界再編への伏線となっていく。

三井住友FG、最終的に大和証券とオサラバ

 米シティグループもリーマン・ショックで経営不安に陥り、日興コーディアルグループ(旧日興証券)の所有株式売却を決断し、入札を実施する。

 その最有力候補はみずほフィナンシャルグループで、三菱UFJフィナンシャル・グループとの一騎打ちが予想されたのだが、最終的に手に入れたのは三井住友フィナンシャルグループ(旧・住友銀行。以下、三井住友FG)だった。

 先述したように、三井住友FGは大和証券グループ本社との業務提携で証券部門への足がかりを築いていたが、主導権を握ることができず、業を煮やしていた。なので、買収によって完全に支配下に置ける日興コーディアルグループは魅力的だったわけだ。

 こうして、三井住友FGは傘下に旧・日興証券、提携相手に旧・大和証券を持つことになった。旧・日興証券を完全な支配下に置いた三井住友FGにとって、主導権を握らせない証券会社は無用の長物でしかない。2009年に大和証券グループ本社との提携を解消。2011年に日興コーディアルグループを完全子会社としてSMBC日興証券と改称させたのだ。