世界スーツ業界の総本山、ブルックス・ブラザーズ倒産…旗艦店跡地にユニクロ出店の意味

2.戦後の発展と急激なビジネススタイルの変化

 第二次世界大戦のヤルタ会談でフランクリン・ルーズベルト米大統領が羽織る大型ケープは、ブルックス・ブラザーズ製であった。戦後すぐにブルックリンに注文服工場、隣のニュージャージー州のパターソンにメンズシャツ工場を新設し、1950~60年代にはアメリカの繁栄と共に業容は拡大していく。そして1979年、海外1号店として日本初の青山本店がオープンする。

 1980年にはノースキャロライナ州ガーランドにシャツ工場を新設。1998年にはノンアイロンシャツを発表。そして2001年9月11日の同時多発テロ事件後にイタリアの世界最大の眼鏡製造卸企業グループ、ルクソティカ・グループの御曹司クラウディオ・デル・ヴェッキオに買い取られた。彼は従来の経営手法を刷新し、2006年にはアメリカントラッドのシルエットに加え「リージェントフィット」や「ミラノフィット」を加えた。ほかにも、2007年に新進デザイナーのトム・ブラウンを迎え、ファッショナブルなトラディショナルライン「ブラック フリース バイ ブルックス・ブラザーズ」をスタートさせている。

 生産面でも2008年に70年の歴史ある製造会社を買収。2009年には最新設備の工場をマサチューセッツ州ハーバーヒルに建設。その後も「レッドフリース」のライン発表や弱いレディス部門のクリエイティブ・ディレクターにザック・ボーゼンを就任させて強化を図った。2018年には創業200周年を迎え、世界数カ所でランウエイショーとアーカイブ展を公開し、日本でも大きな話題を呼んだ。業界でもアメリカントラッドをベースに変容してゆくブルックス・ブラザーズには期待が寄せられていた。

 今回の破産申請には海外店舗は含まれていないが、海外法人であり昨年40周年を迎えたブルックス・ブラザーズ・ジャパンは、米国本社からの出資は60%で、残り40%はダイドーリミッテドが所有する。日本人のアメリカントラッド好きもあり、非常に健全な財務内容となっている。8月末にビルの再開発でクローズする青山本店に代わって、9月4日には表参道店を予定通りオープンさせる。海外約250店舗のうち約80店舗が日本で、世界で2番目の売上を誇る。すでに重衣料はダイドー側にて生産されており、事業継続には安心感はある。事件以前から国内でも10店舗の追加閉店、約60名の退職が発表された。原点に戻りアウトレット売上比率も含め姿勢を正す良い機会にしていただきたい。

 米国のブルックス・ブラザーズの買い手候補もすでに数グループあり、約250店を適正な規模に改めれば、再建の可能性は高い。このブランドがアメリカの象徴として蘇ることを熱望する。

まとめ“Crisis brings opportunity.”

 夢想と呼べる私見であるが、ブルックス・ブラザーズの敗因のひとつに、メンズの売上が80%を占めていたことが挙げられる。需要が縮小するスーツがその中心であったことも、売上減の最大の要因である。

 であるならば、重衣料の市場に弱くポートフォリオとして高級市場が欠けている超優良大企業と組み、世界最高の歴史と現代の素材開発力と最新マーケティング力をひとつにすれば世界で充分戦える。

 ニューヨークの旗艦店跡地に出店した企業との日米合作はどうだろうか。過去に検討されたバーニーズやグループ内の現海外ブランドよりはるかに価値とポテンシャルは大きく、新しいビジネススタイルの開発も可能であると著者は考える。

 そんな夢を見た真夏の夜であった。

(文=たかぎこういち/タカギ&アソシエイツ代表、東京モード学園講師)