それでいて中島氏は講演活動に忙しく、幹部が「本業の立て直しに集中してほしい」と求めても、行動様式は、まったく変わらなかった。このため取締役会は中島氏を社長から解職した。
新社長に就いた比佐泰氏は、18年にプラスを筆頭株主として受け入れ、今回プラスの子会社として再建に取り組むことを決断した。業態の転換が迅速にできなかったのは、「万年筆のメーカーの先駆者」というプライドの高さゆえ、といわれている。
プラスは1948(昭和23)年、東京で事務用品卸を営んでいた今泉商店と鈴木商店が合併した千代田文具がルーツ。1959年にプラスに商号変更した。文具・事務用品卸から自社工場をもつ本格的なメーカーに転進した。今泉一族の同族会社で非上場を貫いている。
「PK戦争」がプラスの名前を全国区にした。「キャンパスノート」を筆頭に文具メーカーとして圧倒的な力をもつコクヨに、流通に強いプラスが戦いを挑んだ。両社の頭文字をとって「PK戦争」と呼ばれた。2017年、プラスはたて続けにノートメーカーや卸会社を買収した。「極東ノート」のキョクトウ・アソシエイツ、量販店向け文具・事務用品卸の妙高コーポレーション(旧・三菱文具)、「アピカノート」のアピカを子会社にした。
18年には量販店向けの文具・事務用品卸の大平紙業を100%子会社にした。19年、アピカとキョクトウ・アソシエイツが事業統合し、日本ノートとして再スタートを切った。2019年12月期の売上高は日本ノートが91億円、妙高コーポレーションが216億円、大平紙業が106億円。コクヨの牙城である文具市場で、プラスは量販店向けの物流を押さえることに重点を置いた。
そして、プラスの19年12月期の連結売上高は前期比5.3%増の1867億円、営業利益は34.7%増の12.9億円、純利益は41.8%増の9.9億円だった。
プラスとコクヨは、筆記具メーカー・ぺんてる(東京・中央区、非上場)の争奪戦でガチンコ勝負を展開した。敵対的買収を仕掛けたコクヨがぺんてる株式の46%を持っていた。プラスはぺんてるの「ホワイトナイト(白馬の騎士)」として約30%を確保した。コクヨは過半の確保に失敗。プラスは経営陣を支持する株主を含め過半数を制した。ぺんてるは6月25日、都内の本社ビルで定時株主総会を開いた。コクヨは子会社にする計画を取り下げ、提携協議を目指す融和路線にかじを切った。
株主総会にはコクヨの黒田英邦社長が出席。コクヨ、プラスの双方とも会社提案の人事案に賛成票を投じた。和田優社長は代表権のない会長に退き、生え抜きの小野裕之取締役生産本部長兼草加工場長が新しい社長になった。
ぺんてる(単体)の20年3月期の決算公告によると、売上高は前期比3.7%減の226億円、最終損益は23億円の赤字となった。ホームページによると19年3月期の連結売上高は403億円だった。ぺんてるはサインペンで世界的に認知度が高い。プラスにとっても魅力的な存在だ。もし、ぺんてるがプラスの傘下に入れば、リーディングカンパニーのコクヨは国内の業界再編で大きく立ち遅れる。
今後も、コクヨとプラスは、ぺんてるの綱引きで火花を散らすことなる。19年9月、「PK戦争」の陣頭指揮を執っていたプラスの今泉公二社長が急逝した。実兄の今泉嘉久会長が社長を兼務。7月1日付で嘉久氏の長男の忠久常務が社長に昇格した。新社長のもと、プラスのM&A路線はどう深化していくのか。「PK戦争」の帰趨にも関心が集まる。
(文=編集部)