例えば藤井は、初手を指す直前に必ず水分を補給する。先手番だろうが後手番だろうが。格上の大棋士が先手で初手を指し、「さあ、どう来る」と待ち構えていても、悠然と飲料を飲んでから指すのである。
昨年2月の「朝日杯将棋オープン」。筆者がカメラマンとしてレンズを向けていた時、「それでは始めてください」と言われた先手番の藤井が平然とペットボトルの飲料を飲みだすものだから「あれっ、先手と後手を聞き間違えていたか」と、慌ててレンズを相手のほうに向けたことがある。注目される棋戦は報道対応もあり、2人が着座してから「始めてください」まで結構時間がある。「飲むのならその間に飲めばいいのに」と思ってしまう。しかし、そんな些細なところにも「自分流」を崩さないその姿勢が強さの一つなのだ。
さて、羽生が非公式戦で藤井に破れて話題になった頃も、大御所たちは「来るなら来い。俺が止めてやる」といった気概で臨んでいたが、最近は次第に、その気迫が感じられない気がする。渡辺三冠にしても藤井が「と金」で攻めこんできた攻撃に対して、普通にと金を取って受ければいいと思う場面も、金を最下段に下げて逃げるという別の手を指して余計悪くしてしまったりしている。
藤井七段に対して意識過剰になっているのか、「藤井の手だ。何かあるはず」と考えすぎてしまうのか。藤井は相手を惑わそうと意識して指しているわけではないし、その程度の「はったり」で勝てるほど甘くはない。しかし、彼は普通に指していても相手がおかしくなってしまうような魔力もあるようにも見える。
(写真・文=粟野仁雄/ジャーナリスト)