52歳でタッチタイピングを習得して実感、「遅くても始めてよかったこと」は多い

 いつもの練習用教材なら大丈夫でも、仕事でメールを書くときには、やはりキーボードを見てしまっていることにも悩みました。ともかくタッチタイピングのスキル習得に、こんなに時間がかかることが驚きでした。長年の我流タイピングの癖に邪魔されていたことは確かで、もっと早く矯正すればよかったと思わずにはいられませんでした。

 そして2年近く経った現在、ようやくラクにタッチタイピングができるようになってきたと感じています。読者のみなさんは、こんなに時間がかかるスキル習得を50歳からはじめたいと思われるでしょうか。特にスキルを極めるというわけではなく、ある程度のスキル習得をするだけで、こんなに長い時間がかかってしまうのです。

 あまり認めたくはありませんが、50代になった自分は、若い頃よりも習得のスピードが遅くなっているのかもしれません。大学生のころであれば、タイピングのクラスを1学期間でも受講すれば、あっという間にマスターできていたように思うのです。

 私はこのスキル習得を若い頃にやっていればよかったと感じたのは本当です。しかしながら、苦労はしましたが、今回の取り組みは遅すぎはせず、習得した今では、やってよかったと感じています。

「年齢を重ねてから」がよかったケース

 逆に、始めるのが遅くてもよかったと思える取り組みもあります。たとえば、この連載記事の執筆はその1つです。

 私は文章を書く仕事は長くやってきていますが、それらの多くは英語学習教材の執筆で、日本語だけで連載記事を書くのは、これがはじめてだったのです。

 連載記事の執筆は仕事として請け負わせていただいていますから、自分のためのタッチタイピングのスキルと同じように語るわけにはいきませんが、3年ほど前に、この連載記事のお話をいただいたときに、はじめに思ったのは、これは毎月よい頭の体操になるだろう、ということでした。

 読者の方々のためによい記事を書くスキルを向上させようとすることは、かなり頭を使うことで、それが自分の50歳の頭を柔軟にしてくれるだろうと思えたのです。

 こうした執筆の機会も、もっと早くからあれば、それはよかったのでしょうが、内容が自己啓発ということもあり、むしろ現在の年齢になってから取り組んでいることに意味を感じています。

「それは遅すぎる」と、はっきりわかることもある

 スキル習得に限らず、多くのことに共通すると思いますが、何歳までが早い段階で、何歳からが遅いとは、決まっているものではありません。何に関しても、これをやるには自分は歳を取りすぎていると感じたら、おそらくそうなのでしょう。同じ50歳でも、まだこれからどんなスキルでも習得していける人と、それをやるには遅すぎる人の両方がいるように思います。

 現在の私には、本業の経営コンサルティング以外の分野では、音楽関係の分野に知り合いが多くいます。その昔は、音楽の世界でプロを目指すことも考えていましたから、ミュージシャンやプロデューサー、曲づくりができる人たち、ボーカルトレーニングの講師など、多くの人を知っている今であれば、楽器を練習しなおすなどして、インディーズからCDを出すことくらいは難しいことではありません。

 しかしこれに関しては、私は真剣に考えることもなく、自分には遅すぎると思えています。昔は相当にあこがれたものですが、現在の私は、実際にそうするには歳を取りすぎているのでしょう。

 スキルの習得は、早く取り組むに越したことはありませんが、始めるのが遅くても大丈夫なことも多いものです。自分にはもう遅いと、はっきり思えてしまうこと以外なら、前向きに取り組んでみる価値はあるのではないでしょうか。いくつになっても、成果を得られたと実感できるのは嬉しいものです。

(文=松崎久純/グローバル人材育成専門家、サイドマン経営代表)

●松崎久純(まつざき・ひさずみ)

企業の海外赴任者や海外拠点の現地社員を対象にグローバル人材育成を行う専門家。サイドマン経営・代表。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科非常勤講師。著書に『好きになられる能力 ライカビリティ 成功するための真の要因』(光文社)、『英語で学ぶトヨタ生産方式 エッセンスとフレーズのすべて』(研究社)、『イラストで覚える生産現場の英語』(ジャパンタイムズ)など多数。