志村けんさん、知られざる意外な素顔…天才なのに超努力家、シャイでトークが苦手

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志村けんさん(「Getty Images」より)

 元ザ・ドリフターズ志村けんさんが亡くなられたというニュースが日本中を駆け巡っています。オーソドックスで、どこか古き良き時代を思い出させるような芸風に見せかけて視聴者を安心させながら、実際には、ほとんどを志村さん自身がつくられた最先端のコントだったと思います。それを実現した秘密は、彼がコントと音楽との融合を常に意識されてきたコメディアンであり、類まれなるプロデューサーだったからだと思います。

 あえて「元ザ・ドリフターズの志村けんさん」とご紹介しましたが、若い読者の皆様には、ピンとこないかもしれません。彼がデビューを果たし、あっという間に大スターになるきっかけになった、ザ・ドリフターズの名物番組『8時だョ!全員集合』(TBS系)は1985年に終わりましたし、77年から20年以上続いた『ドリフの大爆笑』よりも、『志村けんのだいじょうぶだぁ』や『志村けんのバカ殿様』(いずれもフジテレビ系)といった、一人でコントを練り上げているイメージのほうが強いかもしれません。

 このザ・ドリフターズですが、実はコメディアン・グループではなく、コミックバンドとしてスタートしています。1966年のビートルズ来日の際に、前座で演奏したくらいなので、その腕前も想像がつくと思います。そのため『8時だョ!全員集合』も単なるコント番組ではなく、ステージでは毎回生バンドが演奏をし、全員がトランペットの派手な伴奏でテーマ音楽を歌うところから始まりました。

 続くコント劇の最後のどんでん返しで観客が大笑いしていると、すぐさまバンド演奏が始まり、あっと言う間に次のコーナーへ視聴者を連れていくという、まるでミュージカルのような番組でした。コントにも参加していた若き日のキャンディーズや、沢田研二が持ち歌をしっかりと聴かせるコーナーもありました。

並外れた努力家の一面

 そんななか、番組の名物のひとつに合唱団のコーナーがありました。今までバンド演奏だったのにピアノでの伴奏となり、真面目な合唱団のリハーサル風景をピアノの音色で演出してしまうのは、コーラスの指導者に扮しているいかりや長介さんのセンスの凄さですが、合唱団の衣装を着たメンバーが一人ずつ出てきて、歌を歌いながら笑いを取っていきます。そして、最後に志村さんが出てくると、ピアノ伴奏から急に生バンドになり、あっという間に雰囲気を変えたかと思えば「東村山音頭」や「ディスコ婆ちゃん」というヒットギャグを歌い始めるのです。

 通常、コメディアンの定番のギャグは言葉ですが、志村さんは歌なので「ギャグ歌」とでも言えばよいのでしょうか。今となってみれば、ものすごいアイデアでした。

 そしてそれを支えていたのは、当時旬のアイドル歌手だけでなく、ドリフターズのメンバーの素晴らしい音楽能力です。いかりやさんはベースギター、加藤茶はドラム、仲本工事はギターとヴォーカル、高木ブーはリードギター。この高木ブーはかなりの腕前だったと、一緒に仕事をしていた音響技師から聞いたことがあります。そして志村さんもギターを弾いていましたが、実は三味線を弾かせたらプロ級だったとも言われています。

 しかし、ほかのメンバーに比べると、あとから参加した若い志村さんの歌唱力は少し劣っていたと思います。それくらい、ほかのメンバーの能力が高いわけですが、志村さんの凄いところは、音楽の知識だけでは誰にも負けないように努力されていたことでしょう。実は、彼は音楽評論を書くほどの知識量を持っていました。そして若い時から、時間さえあればレコード店に行っていたそうで、彼の有名なコントである「ひげダンス」も、そんなレコード店で見つけた曲だったそうです。