8月25日と9月1日放送の「日曜日の初耳学」(TBS系)に、ミュージシャンの米津玄師さんが2週続けて出演し、東進ハイスクール・東進衛星予備校の国語講師である林修先生と対談しました。
「あの歌詞ってこういう意味が込められていますよね」「この歌って背景には文学作品の◯◯がありますよね」と米津さんに語りかけた林先生。視聴者としても「米津さんの曲はよく聞いているけれど、林先生みたいな頭のいい人が聞くと、そんな面白さがあるんだ」と感じられる対談でした。
また、対談の中では、米津玄師さんの楽曲でNHK朝ドラ「虎に翼」主題歌の「さよーならまたいつか!」についても話が及びました。
この楽曲の歌詞『しぐるるや しぐるる町へ 歩み入る』は、種田山頭火の句『しぐるるや しぐるる山へ 歩み入る』に由来していることが語られました。
多くの人が耳にしたことがある「さよーならまたいつか!」。教養のある林先生だからこそ、歌詞の背景に気づけたわけですね。
小さいときに、「勉強なんてやっても、なんの意味があるの?」と思っていた人もいることでしょう。でも、このように知識を身に付けていると、いつも聞く音楽をより深く楽しめるようになるかもしれません。
今回は事例を交えながら、「教養があると楽しめる邦楽の話」をしたいと思います。
米津玄師さんの楽曲の1つに、「花に嵐」という歌があります。アップテンポで素晴らしい曲なのですが、みなさんは「花に嵐」という言葉には、どんな意味があるかご存じでしょうか。
実は「花に嵐」は、邦楽の別の曲の中でも何度か使われています。例えばEveという若者に人気のミュージシャンも「花嵐」という楽曲を発表していますし、aikoさんも「花風」という楽曲があります。
このように「花」と「風・嵐」という組み合わせは、多くの楽曲で登場するものです。おそらく多くの人は、「花に嵐」と言われても、「花吹雪の嵐」のようなイメージを持つと思います。たしかにそういう意味もあるのですが、それだけではなく実はもう1つ、隠された意味合いがあります。
それは、「別れ」です。
まずそもそも、「花に嵐」という言葉は、「山椒魚」「黒い雨」などの小説で有名な井伏鱒二が、中国の漢詩をこのように訳したことで有名です。
後半の「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」に注目してください。『さよならだけが人生だ』という言葉は有名ですよね。映画やドラマでもセリフとして使われている場合もあります。
実はその前の言葉が、『花に嵐のたとえもあるぞ』なのです。この言葉は、于武陵の「勧酒」という漢詩を訳したものだと言われています。そちらもチェックしてみましょう。
僕はこの意味を「花が咲いて、そのまま綺麗なままで残っていてほしいのに、雨風が多くてすぐに散ってしまう。それと同じように、綺麗で終わりのないことが望ましいにもかかわらず、人生も別れが多いものだ」というような意味だと解釈します。
これを井伏鱒二は「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」と訳したというわけです。