「ウッチャン」こと内村光良が、今年還暦を迎えた。芸人としてはもちろん、テレビMC、俳優など多彩な活躍を長年続けてきた内村だが、忘れてはならないのが後輩芸人をことごとくブレークさせるプロデューサーとしての顔だ。その象徴的番組『内村プロデュース』(以下、『内P』)が28日夜に一夜限りの復活ということで、改めてその後進育成力に注目してみたい。
『内P』が16年ぶりに復活というニュースは、SNSでも大きな反響があった。それだけ多くの視聴者に愛された番組だった証拠だろう。
『内P』は、テレビ朝日系で2000年から2005年までレギュラー放送されていたバラエティ。深夜帯ながら、2桁を超える視聴率をあげる人気番組だった。
毎回多くの若手・中堅芸人が出演し、さまざまな企画で即興の大喜利、コントを繰り広げる。面白ければMCの内村光良が「10ポイント!」などと得点を与え、それが芸人ごとに加算される。
毎回の企画は主に「~をプロデュース!」と題したパターンで、深夜らしくひとひねり加えたものばかり。最初の頃は「溺死体をプロデュース!」という、ドラマの溺死体役の女優をオーディションで選ぶマニアックの極みのような企画もあった。
その後、芸人をフィーチャーした企画がメインになっていく。
「芸人家庭訪問すごろく」は、ルーレットで出た若手芸人宅をアポなしで訪問。そこで内村たちが好き放題するという企画。
くりぃむしちゅー・有田哲平の家では、冷蔵庫にある食材で室内バーベキューを始め、さらには有田が大事にしていたフィギュアを熱々の鉄板の上に置いたりする、という感じである。
「露天風呂だるまさんがころんだ」も人気企画。
露天風呂で芸人たちが「だるまさんがころんだ」をする。最初はみな腰にタオルを巻いているが、動いたり誰かに引っ張られたりした拍子に外れ、最後は画面がモザイクだらけになる。さまぁ~ずの三村マサカズなどはほかの芸人の股間をさわったりしてアウトにさせる技を駆使し、「玉職人」と呼ばれた。
いずれも昨今のコンプラ時代ではクレームが来そうだが、もちろん美容室や歯医者などいろいろな設定での純粋なお笑い力を試す「笑わせ王」のような企画もあり、そんなときには芸人たちの底力が試された。
当時はまだそういう番組も珍しく、『内P』は芸人の発掘や再生の場になっていく。『笑っていいとも!』と並び、若手芸人が出演したい番組としてよく名前が上がった。
内村光良の「プロデューサー」という肩書は、あくまで番組のなかでの役割。歌手デビューした「NO PLAN」の企画もあったが、アイドルのプロデューサーとは少しニュアンスが違う(内村のサングラス姿は、そうしたプロデューサーのパロディでもあった)。
だが芸人の可能性を見抜く内村の眼力はずば抜けていて、この番組をきっかけにブレークした芸人も少なくなかった。
たとえば、「ゲッツ!」でおなじみのダンディ坂野などはそのひとり。「若手芸人下剋上」という企画で内村に気に入られ、その後別の企画にもたびたび登場するようになった。
さらに特筆されるのは、多くの芸人を復活、再ブレークさせたことである。
レッド吉田もそうしたひとり。TIMは「命」などの人文字芸でブレークしたが、どうしても目立つのはゴルゴ松本のほう。自分では「爆笑をとれたことがない」と悩む吉田に対し、内村が「今日のレッド」というコーナーをわざわざつくった。
そこで「ありがトントン・ワシントン」といった独特のフレーズギャグを連発して大ウケ。「レッド語」として番組の目玉になった。