『内P』復活で感じた「内村光良」後進育成の凄み

ふかわ、有吉らも番組で再ブレーク

いわゆる「一発屋」になりかかっていた芸人たちも、この番組で再ブレークした。

ふかわりょうは番組初期からのレギュラー。ふかわは、慶応大学在学中にデビュー。ロン毛にヘアバンドスタイルでおしゃれな音楽に乗せた「お前んち、天井低くない?」などのシュールな一言ネタでブレーク。知的かつクールなイメージで人気を博した。

ところが素のふかわはまったく違うことがバレて、『内P』では一転していじられキャラに。自宅を収録場所にされることもしばしばで、他の芸人たちが勝手気ままに振る舞うのに対してなにもできずオロオロする姿が逆に笑いを誘った。

レギュラー放送の最終回では内村から「この5年余りで、あなたで笑ったのは5回でした」と痛烈にいじられながらも、最後に3万ポイントをもらって総合優勝を果たすなど、愛されヘタレキャラを確立した。

そして有吉弘行のことも忘れるわけにはいかない。

『進め!電波少年』の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク企画」で社会現象的ブームを巻き起こした有吉だったが、猿岩石が解散となってからは模索の時期が続いた。

そんな有吉がピン芸人としてやっていく原点となったのが『内P』だった。そこで生まれたキャラが、「芸人家庭訪問すごろく」に登場した「猫男爵」。

猫男爵
「芸人家庭訪問すごろく」に登場し「猫男爵」として人気になった有吉弘行(画像:TELASA)

内村たちが部屋のなかをあれこれ物色していると、なぜか風呂場から「ニャー」という猫の鳴き声が聞こえる。不審に思ってのぞいてみると、そこにはミュージカルのCATS風メイクでシャワーを浴びたりしている有吉がいる。そして有吉扮する「猫男爵」は裸のまま部屋に入り、自分も好き勝手をし始める。

『電波少年』のアイドル的イメージが強かった有吉が、ひとつ殻を破るきっかけになったキャラクターである。大喜利企画でも存在感を発揮するなど、有吉の芸人としての実力を知らしめたのが『内P』だった。

ウッチャンナンチャンが発明した「ショートコント」スタイル

お笑い芸人は、自分の売りを手に入れられるかどうかが勝負の分かれ目になる。そして売りになるものは、ひとりでいくら考えてもなかなか見つからない。そんなときは、ほかの芸人たちと切磋琢磨することも必要だ。

若手時代の内村光良本人にも同様の経験があった。

南原清隆とのコンビであるウッチャンナンチャンは、1980年代後半ダウンタウン、とんねるずらとともに「お笑い第三世代」としてブレーク。ただ、まだ無名の頃は東京・渋谷のライブハウス「ラ・ママ」で開催された「ラ・ママ新人コント大会」に出演していた。

主催はコント赤信号のリーダー・渡辺正行。そこで若手芸人たちがしのぎを削るなか、ウッチャンナンチャンはなかなか頭角を現すことができずにいた。

一方、人気を博していたのがジャドーズ。ジャドーズは、もともとはバンド(メンバーには、後に「LOVEマシーン」の編曲などで有名になるダンス☆マンもいた)。だがお笑いも達者で、当時「ラ・ママ」で圧倒的な人気を誇っていた。

そのスタイルは、短いものまねやギャグをテンポよくつないでいくもの。バンドらしく、ネタのあいだに自作のブリッジ(音)が入る。当時はネタというと5分くらいある長尺ものばかりで、ショートネタの積み重ねという方式がまず斬新だった(渡辺正行『関東芸人のリーダー』)。

これにヒントを得たのがウッチャンナンチャンだった。2人はそれまでの長尺コントをやめ、ジャドーズのショートネタ方式を借りつつ、短いショートコントを次々に連発するスタイルに切り替える。

「ショートコント、〇〇」と言いながら進めるスタイルはいまや定番だが、それはウッチャンナンチャンが40年ほど前に発明したものだった。そこから人気も上昇。2人の現在に至るサクセスストーリーが始まる。