まだ駆け出しの記者が、デスクや編集者に文章を直されたからって、いちいち御託を並べるな。そういう小うるさいひよっこライターと、「勉強になりました」と受け入れ、グラブを構えて「次、カモン」みたいに準備してるアグレッシブなライターと、どちらが使いやすいのかってことです。
相手の立場に立ってみる。相手の論理構造を理解する。これは、働く人間にとって死活的に重要です。
そういう態度でいれば、洪水のように仕事が押し寄せます。そして書けば書くほど、うまくなる。そのうえに、書き手としての立場も強くなる。趣味直しをしてくるデスク・編集者が、勝手に手を入れられなくなる。
もう、空気が変わるんです。あまりに忙しい売れっ子ライターには、「こいつの原稿に下手に手を入れちゃまずいな」という空気が流れる。
無能なデスクほど、そういう空気だけは分かる。彼らは空気を読むから。ポジション取りだけで生きてきたから。
この話は、ライターに限らないです。学生時代からずっと貧しかったので、いろんなアルバイトをしてきました。皿洗いに居酒屋のホール係、調理人の見習い、ビル掃除にホテルのベッドメイク、土方、家庭教師、八百屋の配達にレジ係……。
でも、アルバイトだろうとなんだろうと、口がうまいやつじゃなくて、だまって、陰で、誠実に働くやつ。そういうのが、正社員からも一目置かれる。じきに、くだらない嫌みもなくなる。難癖をつけられなくなる。
書くやつが、書けるようになるんです。〈仕事〉するやつが、〈仕事〉できるようになるんです。トートロジーです。
量が質を凌駕する。
話は少し前後しますけれど、そういうわたしも、会社内でいつも書いてきたわけではないんです。社外でフリーライターの仕事をずっとしているから、その意味ではいつも書いてはいたんですけれど、新聞社で考えると、ずっと書く場所にいられたわけではない。
外されました。いちばんいやな仕事をやってました。
会議するのが仕事ってことがあった。しかも他社との協同事業だったから、そのときはテレビ朝日とKDDIと、毎日、会議していた。
わたしは、会社を辞めようと思っていたんです。これ、意味ないわ。こんな人生を送りたくない。辞めようとして、じっさい、準備もしていた。
そうしたら、見るに見かねて上司が、記者に戻してくれた。「ただし、ヒラの記者だけど、いいのか?」、「ありがとうございます! 恩に着ます!」と、完全に舞い上がってました。形式的には降格なのに、なにがそんなにうれしいか。
「スニーカーが5ミリぐらい宙に浮いて歩いてる」と、周りの人間にしばらく言われました。
ヒラのライターに戻してもらって、そこからは水を得た魚雷です。どんな仕事にも飛びついて、周囲の人間がどん引きするくらい、激烈に仕事した。その間に本も出版したりして。「こいつ、いつ寝てるんだ」って感じでした。
以来、会社内でも、ずっと書くポジションにいます。わたしも、“罠”にひっかかりました。罠にかかったけれど、なんとか自力で脱出した。くくり罠から、自分で足首を引きちぎり、逃げ出した。足首の欠けた猪です。かわいそうに、山の中にいくと、たくさんいますけれど。
書けない部署にいるときに、なにをしていたかというと、筋トレです。
そのときはもう、ジムに通い詰めました。会社の地下にも簡単な体調室があって、いくつかマシンが置いてあった。ずっと筋トレしてました。
それから、外国語の勉強です。単語帳を縮小コピーして、手のひらに入るサイズの紙片にして切っておくんです。退屈な長い会議で、ずっと、その紙片をめくっている。まだ目がよかったからできたんですが。
手のひらのメモをひっくり返している分には、「なにか資料でも見ているのかな」と勘違いしてくれる。だから、ずっと単語を覚えていました。
不遇の1年間で、シャツが合わなくなるほど体は大きくなって、単語もすごく覚えたんです。あのときに英単語は1万語覚えましたね。英語の本を、辞書を引かないでストレスなく読めるようになった。
いま、英語を原書で読めるようになったのは、書く場所から外されていたおかげです。
あとで聞きましたが、同僚はみな、わたしの行動を不審に思っていたそうです。
「近藤さんが会議中に見てるの、あれはなんだ?」「(相撲で行司が呼び上げるときに見る)番付表か」って言われていたらしい。式守伊之助かよと。