デートをすることもないでしょうし、たとえデートしてもその金銭的価値観が対立するわけですからうまくいくはずのない間柄です。であれば、論争すること自体が不毛です。
「おごられたい女」は「おごりたい男」とデートをすればいいのであり、そんなことに頓着しない男女は「いつも割り勘」でも「たまにはおごり、たまにはお返しして」という臨機応変にやればいいだけの話です。
にもかかわらず、この論争が絶えないのはなぜでしょうか?
そこには、個人と個人のデートの支払いの問題ではない闇が隠されているように思います。
この「おごりおごられ論争」の派生として「港区女子は飲み会では1円も払ったことがない」問題というのがあります。
最近いわれる港区女子とは、どうやら定義が少し変わったように思います。必ずしも港区で生まれ育った女性や現在港区に居住している女性を指すものではなく、さりとて、港区にある会社に従事している女性を指すものでもありません。
港区にあるタワマンやおしゃれな会員制のバーなどで開催されるパーティーなどに招かれてやってくる女性のことを指すように変化しています。
パーティーを主催する側は、経営者や医師、外資系社員など若くして高収入の男性で、そういった席での会費は大体「男性側が全部持ち」というパターンがほとんどです。
最近では下火になってきているという噂の「合コン」も、かつては男女の出会いの場として大いに機能していたわけですが、そこでは男女全くの均等割り勘ということは少ないにしろ、女性より男性が多めに払うということが一般的で、「男が全おごり」というのはほとんどありませんでした。
ところが、この港区女子が行くパーティーは、「男が全おごり」形態です。そういうところに何度も呼ばれて行くうちに「男が全部おごるのが当然なのだな」という刷り込みがあったとしても不思議ではありません。多分、そこで出会った男性とその後個別にデートをした場合でも、デート費用はすべて男性が支払うのでしょう。
そうした港区女子の生きてきた世界の中では「デートで男がおごらないなんてあり得ない」ことになってしまうわけです。一方、そんなタワマンでのパーティーなどとは無縁の男性にとって「飲み会ですら男が全おごりなんて聞いたことがない」という世界線なわけで、それは話が合わなくて当然です。
前述した内閣府調査にもあるように、年代別にみれば、男性は20代より年があがるごとに「男がおごるべき」意識が高まっていきます。が、これは昔の若者が「おごるべき」規範に染まっていたわけではないことに留意する必要があります。
こうした話によくおじさんが「いや、俺達の若い頃は金がなくてもデートはおごっていた」などと自慢げに口をはさんでくるのですが、こうした話もほぼ眉唾です。
そうしたおじさんが若者だった頃の1999年の産経新聞の記事によれば、その年の新成人に対して「理想のデート費用の払い方」についてアンケートしていますが、「7割が割り勘」と回答しています。
1997年のタイガー魔法瓶が実施した「独身サラリーマンとOLの財布の中身」調査(対象20~39歳)では、デート費用を「自分が全部出す」男の割合は24.6%にとどまります。つまり、昔も今も若者は割り勘が当たり前なのです。
私のラボの調査によると、むしろ年齢より年収の影響のほうが大きい。年収別にみれば、年収が高くなればなるほど「男がおごるべき」意識も高まります。全体では30%程度であるものが、年収500万円以上だと50%を超えます。
要するに、「男がおごるべき」という意識というのは「自分の経済力」と連動するものであり、最近の若者の「男女対等意識があがったから割り勘になった」というより、単に無い袖は振れないだけのことかもしれないのです。同年代の女性もそれを理解しているわけで、だからこそ「男がおごるのが当たり前」などと思っている割合が少ないのでしょう。
ご存じの通り、特に20代の男性はここ25年間も給料があがらない状態が続いています。2022年の最新の就業構造基本調査で計算してみても、全国20代の未婚男性の年収中央値は297万円でしかありません。
本来、未婚男性が結婚を決断できる最低年収ラインといわれる「300万円の壁」ですらおよそ半数が超えられていません。さらに、近年は税金や社会保険料負担も増えていて、可処分所得はむしろ減る一方です。
そんな経済環境の中で、一部の限られた層の狭い世界でやられている「男全おごりという港区しぐさ」をすべての男性に求めるのは無理があります。
「私はおごられる女」「俺はおごれる男」ということで承認欲求を満足させたいのならそれはそれで結構ですが、金銭の授受がなければ満足できない承認欲求と人との関係性しか持ちえないのなら、それもずいぶんと寂しい話だと思います。