つまりスポーツクラブでの活動はあくまでも、学校とは別で、自分の余暇(自由時間)を自由意思で充実させるためという位置付けにある。だからもし人間関係などで、解決が難しい問題があった時でもいつでも「やめる自由」もある。他のクラブや競技に変えてももちろんいい。
日本の典型的な部活は、上下関係が強調され、時には勉学さえも後回しにして、全人生をかけて「勝つこと」に価値を置く「体育会系」が優勢だ。対してドイツのスポーツ文化は「非体育会系」で、楽しむことが大前提となっている。
スポーツクラブの会費は割安だ。2020年の調査によると毎月の会費の平均は子どもが3ユーロ、青少年が4ユーロ、大人が8ユーロだという。ドイツの生活感覚でいえば、300円、400円、800円。もちろんクラブや競技によって違いはあるが、総じて安い。
その理由は明らかで、運営はボランティアで行われているのがほとんどだからだ。また、トレーナーに報酬が支払われることも多いが、食べていけるだけの額ではなく、「有償ボランティア」というレベル。またトレーナーもクラブのメンバーということが多い。そうでなければ安い会費では成り立たない。
就学中の子どもや若者のトレーナーを引き受けている人の中には、使命感のようなものを持っている人がいる。社会からチームスピリットが失われつつあることへの危機感や、子どもたちが安心して成長できる場を提供したいというものである。こうした活動は時に負担になることもあるが、あくまでも自主的なものであり、実践できることに充実感を覚えている人も多いようだ。
試合の時には、競技によっては会場の設営作業もある。試合会場でコーヒーやケーキを販売することもある。これはメンバーのみならず、その家族も気軽に手伝う。ボランティアには「志願」という意味合いがあるが、そこには人間関係などに気を遣って「やっぱり手伝っておいた方がいいかしら?」という空気を読むようなものは基本的にない。本当に「自由意思」の活動という意味合いが大きい。
ところで、ボランティア一般に関するある調査を見ると、その動機はさまざまなものがあるが、トップに上がるのは「楽しいから」という実にわかりやすい結果が出ている。スポーツクラブは「楽しい自主的な活動=ボランティア」を気軽にできる側面があり、多くの人を惹きつけているのだ。
ドイツの自治体や国全体から見ると、スポーツクラブはもはやなくてはならないものになっている。なぜなら人々の健康や運動機会のみならず、社会的な課題に対する貢献度も高いからだ。試合を通した競争そのものを目的にしたり、市場経済的な商機として考える以上に、スポーツが人々の幸福のための手段として捉えられているのがわかる。
コロナ禍の時、日本では試合再開を優先する傾向が強かったと聞くが、ドイツはクラブの普段のトレーニング再開が優先された。2021年にはドイツのユネスコ委員会はそんな「スポーツクラブ文化」を無形文化遺産に登録している。