心理的安全性のある職場は「Nice」ではなく「Kind」

仕事でトラブルが発生。課長の指示を受けたメンバーがその原因を探ると、なんと、課長本人が顧客に送ったメールに、相手の誤解を生む表現があったと判明しました。

このとき、職場に心理的安全性があるか否かでメンバーの行動は大きく変わりそうです。

もしそのチームに心理的安全性がなければ、つまり、普段から課長が部下の話には聞く耳を持たず、悪い報告を聞くと機嫌が悪くなったり、自分の気に食わない部下に対してはネチネチと嫌味を言ったり、あからさまに評価を下げたりするような上司だったらどうでしょう。

メンバーは課長の顔色をうかがって、「課長の間違ったメールが原因でした」と報告するのをためらうか、報告するのにかなりの勇気を必要とするでしょう。あるいは最悪の場合、課長ではない別の誰か、たとえば社外の協力会社に責任を転嫁したりして、自分に火の粉が降りかからないよう嘘の報告をでっち上げる、なんていうことも起こり得ます。

逆に、心理的安全性があり、課長が普段からメンバーの意見に耳を傾け、職場での率直な議論を奨励する上司だったらどうか。メンバーは事実に基づいて課長にこう伝えられるはずです。

「課長がさっき送ったメールに間違いがあって、それを読んだお客様が勘違いされたようです。すぐに課長から謝罪と修正のメールをお客様に送っていただけませんか?」

相手が上司であっても誰であっても、「それを言うことで自分が不利な立場に追いやられるのではないか」というネガティブなプレッシャーを感じることなく、相手の間違いを指摘できる。相手とは違う自分の意見を伝えられる。そして、建設的な意見の対立から、よりよいアイデアや解決策が生み出される。

こうした状態が、「心理的安全性が高い職場」と言えると思います。

NiceではなくKindのある職場を目指す

僕が考える「心理的安全性の高い職場」とは、Niceではなく、Kindな職場のことです。日本人には違いがわかりにくいかもしれませんが、微妙なニュアンスの違いを説明すると、Niceは「やさしい」「気持ちいい」「快適」、Kindは「親切」「思いやり」といったところでしょうか。

Niceな職場とは、「それいいね!」「ナイス、ナイス!」とお互いに同意するので、仲がよさそうでまとまりのある雰囲気を醸し出しています。しかし、お互いの腹の内は隠したままなので、本当のところはどう思っているかはわかりません。

一方、Kindな職場はそうではありません。メンバー同士が自分の考えや意見を正直に伝え合います。「いや、ちょっと待って。『いいね』じゃなくて、もうちょっと深く考えようよ。僕が言おうとしているのはこういうことだけど、あなたは本当に理解してる?」「それ、ちょっと違うんじゃない?」という会話ができる職場です。

自分にも相手にも誠実であること。それによって一時的に対立が生じたとしても、相互理解が深まり、人間関係が構築されていきます。これが心理的安全性の本質ではないかと僕は考えています。