プロセスのしょっぱなは「Awareness(認知)」。知られなければ買われない。当たり前と言えば当たり前。だから認知拡大のために企業は宣伝を打つ必要が出てくる。
ただ、ここで問題になってくるのはメディアの多様化だ。テレビCMや新聞広告、もしくは自社サイトでの告知では、企業の思いどおりのメッセージによる認知を拡大できるのだが、ご存じの通りSNSが、その「思いどおりの認知構造」を崩しにかかってくる。「あの商品はダメだ」「あのサービスは使えない」……。
とりわけ映画の場合は、「全米驚愕」的なありがちな映画館広告(シネアド)や、やみくもなタイアップに対して、生活者は食傷気味になっていて、新鮮な認知を与えにくいうえに、SNSにおいてもネガティブな書き込み、さらには忌み嫌うべき「ネタバレ」が林立、つまり「思いどおりの認知構造」の構築が極めて困難になっている。
私は代理店時代「良質な認知」「筋肉質な認知」という言葉をよく使った。つまり「Awareness(認知)」の後の 「Interest(関心)→ Desire(欲求)→ Memory(記憶)→Action(行動)」にスムーズにつながっていく認知のあり方。しかし映画の場合、ありがちでやみくもな宣伝手法やネガティブなSNSによって、「悪質な認知」「ぜい肉の多い認知」になりがちなのだ。
それでも、間違いを起こしたくないから生活者は、宣伝やSNSからの事前情報を参考にする。結果、事前情報だけではじかれる映画が多くなる。もしくは事前情報という第一関門をクリアして鑑賞したとしても、鑑賞体験がスタンプラリー化し、感動の幅が制限されることも多くなる。
だとしたら、一種の劇薬としての「NO宣伝戦略」という手もあろう。同戦略によって、まっさらの目で鑑賞する格別な体験を提供し、そこからのボジ書き込みを誘発する。さらには「自分がまっさらの目で観て感動したのだから、自分も出来るだけ内容を拡散しないようにしよう」という気持ちを生み出す(事実、本作関連の書き込みを見ていると、ネタバレについて鑑賞者が必要以上に慎重に対応しているのがわかって微笑ましい)。
逆に言えば「NO宣伝戦略」には、かつ「売らんかな」な押し付けがましい宣伝の反作用としてのネガ書き込みやネタバレを抑制する効果もある。そして言うまでもなく、宣伝費を劇的に圧縮できる。
もちろん、この戦略に打って出る絶対条件として、内容に対する絶対的な自信に加えて、「あのスラムダンク」「あのスタジオジブリ」「あの宮?駿」のような高いブランド力が必要となるが、しかし、そこまでの高いブランド力がない場合でも、やろうとしている宣伝手法の結果として生み出される認知が、良質なのか悪質なのかを、しっかりと見極めることが必要だと言える。
平たく言えば「バズればいいってもんじゃない」時代ということだ。つまり、それだけ映画、コンテンツ産業のマーケティングはデリケートだということでもある。
思えば私が、スタジオジブリ作品を初めて観たのは2002年の5月4日、場所は広島。カープ対タイガースを広島市民球場(当時)で観る予定が、雨天中止になったので、しょうがなく『千と千尋の神隠し』を観た。前年公開だったが、特大ヒットとなりロングラン上映中だったのだ。
打ちのめされた。もちろん内容が圧倒的だったのだが、野球の試合が雨天中止で「しょうがなく」観たので、事前情報がまったくなかったことも、新鮮なインパクトに拍車をかけたと思う。独特の抽象性と映像インパクトで押してくるスタジオジブリ作品には、特に「NO宣伝戦略」が合うのではないか。
最後にNHKの公式サイトに掲載されていた「謎に包まれたジブリの新作 鈴木敏夫Pに聞いた!」(2023年7月6日)という記事を引用したい。ここまで私は何度も「NO宣伝戦略」という言葉を使ってきたのだが。
――インタビューのなかで、今回の「宣伝戦略」について質問すると、鈴木さんは「あまり戦略って言葉は好きじゃない」と答える場面がありました。そしてインタビュー終了後、鈴木さんは改めて「揚げ足を取るようで悪いんだけど」と笑顔で前置きしながら、「戦略は戦争で使う言葉で、そうなると勝ち負けになってしまう。そういうことじゃないんだ」と話してくれました。
『君たちはどう生きるか』をまだ観ていない方は、この言葉だけを唯一の事前情報として携えながら、観に行くのもいいかもしれない。