そんな本番組だが、見続けていくとじわじわと味わいが出てくる。たとえば、男性2人が大ゲンカをするが、その場を収めた後の女性陣は「あの人はグループの調和をどう考えるのか知るいい機会になった」「自分中心の人だとわかった」と笑い合って雑談しながら、人となりを冷静に見極めている。そこからは、大騒動に動じない度胸の持ち主ぞろいであることが伝わってきた。
また、物腰柔らかく、誰にでも優しいある住民が、冷静に周囲を分析しているようで、自身がいろんな女性に好かれていると的外れの勘違いをしている。年を経ているだけに、とんでもないモンスターに化けそうな予感を漂わせていたりと、思わず目が離せなくなるようなクセになる引力がある。
それぞれが人生経験を重ねてきているだけに、物事への理解の深さと速さがありながら、ときに生活感がにじみでていたり、相手への思いやりの角度が独特だったり、恋愛のはじまりが唐突だったりする。若者たちとは違って恋愛感情のあり方が一様ではなく、年の功によるわびさびがあるのだ。
それが滑稽に見えることもあるのだが、思いがけず深く心をえぐられることもある。MCのロンドンブーツ1号2号・田村淳は、ある住民がふと見せた何気ない仕草と意外な思いにすっかり感情移入。その恋に涙腺が崩壊し、号泣する姿を見せていたのが印象的だった。
そして、その様子を見ていて気づくのは、とくに男性は恋をして視野が狭くなり余裕がなくなるのは、年を経ても変わらないこと。そんな部分と年配層ならではの懐の深さが垣間見える言動が混在しているところが、おもしろさの1つになっている。
『あいのり』の放送時には、「いい年して恋愛するより仕事しろ」という声がSNSに上がったが、本番組に対しても同様の声もあるようだ。
40~50代と言えば、知識も経験も豊富に蓄積し、仕事をはじめそれぞれの生きるシーンでバリバリと力を発揮する脂の乗った年代であり、社会の責任ある立場にいる人も多い。そんな年代が恋愛するためだけに集まっている様子に「いい年して何やってるの」という声はあって然るべきだろう。
その一方で、同年代の視聴者が本番組を見て得る気づきもあるようだ。多忙な日々を送り、仕事が生活のほとんどの時間を占める人生を送るなか、本番組が映す世界には、不惑の年代の意識せずとも心の奥底に息づくさまざまな願望が見え隠れする。
40~50代とは、人生の半ばを過ぎて、誰にでも平等に訪れる“人生の終わり”が視界の片隅に入るころ。いま仕事に邁進する日々に充足感を得ていても、それが残りの人生でずっと続くわけではないことをふとした瞬間に考える。
そのときに、自分の人生は仕事のためにあるのか。定年を迎えたあとは家族のために生きるのか。独り身であれば、その先の20~30年という時間を何をよりどころにどう生きるのか。人生の紆余曲折を経た出演者たちには、ともに生きるパートナーの存在が何よりも大事だとの考えが根底にあり、それは彼らにとって生きることそのものにつながっているようだ。
本番組を揶揄しながら見ていた同年代も、恋愛がどうこうよりも、彼らの真剣な姿に、ふと人間としての生き方や人生の意味を考えるに違いない。出演者たちが恋愛に向き合う切実であり誠実な姿や振る舞いに、悲哀や悲壮感はない。
MCのベッキーは、ある男性をこき下ろしていたかと思えば、いつの間にか彼の恋愛を応援していることがあった。それは見ている人たちも同様のようだ。くだらないと思っていたのに、気づけば彼らのどこかに共感し、感情移入してしまう。
そんな番組だから話題になるのだろう。恋愛リアリティーショーとしては、従来のフォーマットそのままの番組だが、視聴者の心の捉え方はこれまでと大きく異なり、特異な番組になっている。
すでに世界的に人気を得ている恋愛リアリティー番組だが、本番組は高齢化が進む中国や韓国などでも支持を得そうだ。また、これをベースにしたスピンオフ企画もいろいろ考えられるだろう。世界的に売れるフォーマットになっていくポテンシャルがある。