本作品に描かれる大人と10代後半の子どもたちとのやり取りは、綺麗ごとではすまない代わりに、絶望や世代による分断では終わらない複雑さと希望を感じるものだ。本作が描く大人たちは子どもや若者にとって、問題を生み出し、勝手なルールを押し付けてくる存在である。
ただし、全員が悪人というわけではない。特定の状況では非倫理的な行動を取る大人たちにも、そうせざるを得ない事情があり、資源制約のもと、やむを得ず、子どもや若者に対して厳しい対応を取っていることもある。そんな大人たちも、若者の筋が通った言動に良心を呼び覚まされる。
登場人物を単純に善と悪に分けることをせず、人間の行動が状況により変わる様を描く解像度の高さは、本作のストーリー展開に説得力を加えている。作品内には、映画監督や番組プロデューサー、ディレクターが登場し、クリエイターとしての矜持を語る場面が多い。原作者は『【推しの子】』を書く際に、同じことを意識しているのかもしれない。
『【推しの子】』は青少年誌の連載漫画としてスタートしたが、より幅広い層に受け入れられる要素がある。それは、面白いエンタメであるだけでなく、重要な場面にさり気なく、ジェンダー視点や子どもの人権を尊重する視点が描かれていることだ。
例えば本作の冒頭近くには、性的同意の問題を扱うシーンがある。12歳の女性患者に「先生結婚して」と言われた30代の男性医師が「君が16歳になったらね」と答えるシーンである。折しも日本政府は今年3月14日に性的行為について同意ができる「性交同意年齢」を13歳から16歳に引き上げる刑法改正案を閣議決定した。
このシーンを掲載したコミック第1巻は2020年7月だった。つまり刑法の関連条文を改正するかどうか、議論が行われていた時期にあたる。このように世論の関心を集める政策課題について、本作品の著者らは意思表示をしながら、日本社会に問題提起をしているように解釈できる。
さらに、同じ医師は、10代の妊婦患者が診察に訪れた際、出産の意思決定はあなた自身がすることだ、と明確に述べる。さほど大きなコマではないが、これは重要なシーンである。
出産するかどうか、する場合は、どのタイミングで産むのか、決めるのは、親になる本人であるべきだ。このような考え方を「性と生殖に関する健康と権利(Sexual and Reproductive Health and Rights)」といい、ジェンダー分野でも重要事項のひとつだ。
1994年に開催された国際人口開発会議で採択された「カイロ行動計画」の成果であり、女性が安全に妊娠・出産でき、またカップルが健康な子どもを持てる最善の機会を得られるよう適切な医療を受ける権利を定めている。
SRHRやカイロ会議という言葉を聞いたことがなくても、子どもを持つことは、出産する人の自己決定に基づくものであるべきだ、という考えは多くの人が理解・納得するはずだ。
厚生労働省の調べによれば、2019年度の人工妊娠中絶件数は15万6430件である。2019年の出生数は86万5234件であり、望まない妊娠や事情があって産めない事例が珍しいものでないことがわかる。
漫画の中で10代の妊婦は、子どもを持つことを受け入れ、歓迎していたが、それがあくまでも本人の意思決定であり、周囲の誰からも強いられたものではないことは重要だ。
筆者が映画館にアニメ版第1話を見に行ったところ、観客席のほとんどが10代と思しき女性で埋まっていた。「芸能界」「アイドル」といったキーワードや、多様で魅力的な女性キャラクターが登場することに加え、10代の女性を尊重する価値観が通奏低音のように響くことも、この世代から支持される要因ではないか。アニメ版は原作漫画を忠実に再現している。
これから『【推しの子】』を読もうとする大人には、2回以上、読むことをお勧めしたい。最初はストーリーを純粋に楽しみ、2回目以降は、人物の表情にこめられた意味や伏線に注意しながら読むと、さらに楽しめるはずだ。そして、巧みに作られたエンタメの世界に浸りながら、子ども・若者たちが提起する大人の社会の問題について、少し思いを寄せてほしい。