思考力を養う上で「疑う心」を持つことは重要となります。「疑う心」の一例として、「そもそもの問題」自体が適切かどうかを疑ってみるということが挙げられます。「答え」つまり結論のほうではなく、「問い」つまり与えられた問題自体がおかしいのではないかと疑うことです。
問題解決をするときのまずいパターンの1つは、「間違った問題を正確に解いてしまう」ことです。解くべき問題そのものが違っていると、うまく解いたとしても、それは有効な解決策になりません。もともと解こうとしている課題に対して一番よい問題を解かなければならないわけです。それでは、どういう場合に解く問題を間違えてしまうかを考えてみます。
図1はある問題を分析したロジックツリーです。ロジックツリーとは、論理のためのツリーであり、木の形をした図あるいは樹形図で、課題の原因を分析する有効な手段です。
1つ目に考えられるのは、例えば?が問題だと認識しているのに、実はこれが表面的な問題で、その原因を深掘りして、なぜを繰り返したときに、深掘りされた?が本来は解くべき問題だったという場合です。
解こうとしている問題が表面的な問題なのか、根本的な問題なのか、あるいはそれは単なる手段だったのか、より上位の目的があったのかということです。
表面的な問題を解いてしまうリスクに関しては、「なぜ」を問うことによってさらに本質的な問題に迫っていくのが、問題そのものを疑ってみることの1つのあり方です。
上記で解説したのは、図1の「横方向」つまり原因の深掘りが浅かった場合の例ですが、もう1つは全体の中で部分の決め打ちでしか見ていなくて、別のところ(例えば?)にさらに優先順位の高い問題があったかもしれないという可能性です。
表面なのか根本原因なのかという話と、全体の中での位置づけという、図表1の横方向と縦方向の2つが解くべき問題を正確につかむカギとなります。
そもそもこの問題でいいのかということを疑ってかかり、さまざまな視点から見ていって最適な問題を解くことが重要です。
このように、真の問題にアプローチできない理由はさまざまなものが考えられますが、その中で重要な原因の1つとして、無意識のうちに事実に勝手な解釈が入り込んでしまっていることが挙げられます。これを防ぐための「事実をありのままに見る」ということについて、もう少し詳しく説明します。
現実的には事実をありのままに見るということは、実は不可能です。所詮(しょせん)は何かを抜き出しただけという「言葉」そのものの限界であったり、私たちがみな例外なく持っている認知バイアスと言われる認知のゆがみがあったりするからです。ここでは、なるべくそのような「余計な解釈」を外して考えてみようということについてお話したいと思います。