2001年9月、マイク・ネメスは、アメリカ合衆国陸軍士官学校「ウェスト・ポイント」の2年生だった。
ハイジャックされた2機の飛行機がニューヨーク市マンハッタン区の世界貿易センタービルに激突したとき、テレビの前で壊滅的な被害が広がっていくのを目の当たりにしたネメスと級友たちは、自分たちの人生が、そして多くの人びとの人生が、もう二度と元どおりになることはないと感じていた。
戦争が――まちがいなく彼らも招集され、闘うことになる戦争が――差し迫っていた。
事態の重大さをかみしめながらも、ネメスは心に誓った。仲間同士の結束と士気を高めるためなら、どんなことでもしよう、と。
彼は兵舎内に秘密のユーモア工房をつくって、風刺新聞を発行した。紙面にはこんな見出しが躍った。「サッカーの試合で負けたのは、ビン・ラディンとアルカイダのせいだ」「士官候補生(カデット)カジュアル、巷で大流行」
そうやって、ときにつらいこともある士官学校生活や迫りくる国際紛争の緊張感のなかで、ふざけてみせたのだ。
上官らに見つかったら、やめさせられるのはわかっていたので、ネメスは新聞をこっそり配布することにした。新聞をクリアポケットに入れ、共同トイレの個室のドアの内側にテープで貼り付けたのだ。新聞はたちまち読者を獲得し、「センター・ストール」という愛称もついた。
共同トイレの個室からは忍び笑いが響き、新聞のニュースはあっという間に拡散した。
仲間たちはネメスに記事のアイデアを内緒で提供し、毎日、新しい号をチェックしにトイレの個室へかよった。
陸軍の幹部に事が発覚するまで、時間はかからなかった。厳密に言えば、ネメスは規律を破ったことになる。しかし幹部らは、新聞が士官候補生らに及ぼした効果にも気づいた。新聞は、ささやかながら意義深い方法で、重苦しい雰囲気に変化をもたらしたのだ。
そういうわけで、幹部たちは目をつぶった。やがて「センター・ストール」は、士官候補生たちだけでなく上官たちにも、規律の厳格なウェスト・ポイントの文化に不可欠なものと見なされるようになった。
極度の不安と悲嘆とストレスのなか、士官候補生たちはこのささやかな陽気さのおかげで、目の前に突きつけられた悲惨な現実に対処することができた。
かつて奴隷制度廃止を支持した牧師のヘンリー・ウォード・ビーチャーは、こう語っている。「ユーモアのセンスがない人間は、ばねが付いていない荷馬車のようなものだ」。
人生が揺れ動くさまざまな事態に備えて、私たちも緩衝装置を用意しておく必要がある。そしてユーモアこそ、最高のバッファーなのだ。